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30歳、感情の揺れ動くとき【ぷよぷよチャンピオンシップSEASON2 6月大会を終えて】

りべです。

 

ぷよぷよチャンピオンシップSEASON2 6月大会お疲れ様でした。

今回はベスト8でマッキーくんに敗れました。

 

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なんだか、緊張が普段の比じゃなかったです。

今回は記事を書くことを微塵も考えていませんでした。

完全に当事者として、大会に取り組んでいたことが大きく影響していたように思えます。

勝てていないことは、実力不足でしかありません。勝てるようになる、それだけです。

 

 

たくさんの方に、応援のリプライをいただきました。

僕のやっていることは既に、自分一人のものではないのだなあということが、ありありと心に伝わってきて。

もしかするとこれが、最も選手冥利に尽きる瞬間なのかもしれないと、1年経ってようやく気づきました。

 

 

そして、本日は韓国リーグの情報発表がありました。

 

 

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くまちょむ、Kuroro、Tom、selvaの4人は韓国のOGNリーグに行って賞金200万を争う傍ら、僕は自費で賞金もほぼ出ないEVOのサイドトーナメントに行くわけです。

結局僕は、幾年先を見据えて、人のやりたがらないこと、まるで得しないこと、手を出しづらいことに率先して取り組んで、誰に評価されようがされまいが、自分の信念を貫かなければいけない。いつの間にかそういう立ち位置になってしまった気がします。

 

自分が損せずに、周囲を良くする方法がわからない。

自分が損せずに、他人に許される方法がわからない。

自分が損せずに、自分が認められる方法がわからない。

 

という葛藤が、最近の僕の課題と化しています。

自分が豊かになって、周囲も豊かにできる。そんなビジョンを描けるのか。

そのための長期ビジョンは、果たして誰かに理解してもらえるのか。

 

施しを受けるのがあまり得意ではないのですが、最近ご支援をお願いしているのはそのせいです。

www.livedesu.com

 

コミュニティでの活動はよく、「やりがい搾取」と呼ばれることがあります。

私財をはたいて大会賞金を拠出したり、対戦会環境を整えたり、国内イベントに顔を出したり、海外大会に遠征したり…

そうやって、僕は今まで何を得てきたのでしょうか。有形のものなのでしょうか。

 

僕の答えは、「人」で変わりありません。そこは決して揺るがない。間違いなく僕は数多くの人に助けられ、支えられている。でも、いつまでも漠然として、何に昇華するかもわからない、そんな蜃気楼のような答えです。

「環境」「仕組」をベースとしてぷよぷよについて考える人間の意見に触れるたびに、理路整然と進んだ先で袋小路にぶち当たって諦める人間を見るたびに、僕はどうするのが正解なのか見失います。

いや、元より正解など描けていないのです。針の穴を通すような細い可能性しか追っていないのですから。

ぼんやりとした霞を食べていては、人はやがて死にます。僕も、いずれ死にます。

 

 

 

 

いくら齢を重ねようと、誠心誠意取り組むことに関して、感情はいとも容易く揺れます。

しかし、揺れようと、酔おうと、漕ぎ出した船を止めることはできません。

新天地にたどり着くまでは。

 

 

 

きっと僕は、いくら損しようとも、可能性を諦めたくないだけなのです。

諦めてしまった人間がたくさんいる世界だからこそ。

諦めてはならないとただ意固地になっている30歳なのです。

 

 

今日はもう、とりとめもなく、やたら抽象的な文面ですが汲み取ってください。

 

ではまた。

 

 

村と町、地域振興、eスポーツ……何故今、ゲームタイトル間での『同盟』が必要なのか?

りべです。

 

 

最近、『ヒマチの嬢王』という漫画を読んでいます。

urasunday.com

 

水商売ものか~と思って何の気なしに読み始めてみたんですが、これめっちゃ面白い。

よくある(あ~主人公が成り上がる系漫画ね~)って予想を立ててたら、元歌舞伎町No.1キャバ嬢の主人公アヤネは鳥取の朝日町に帰って以来全然キャバ嬢として働いてない。なにこれ。

何やかんやあって水商売の世界に戻るんだけど、彼女がやることは完全に経営者寄り。てかだんだん方向性や舞台がキャバクラ関係なくなってくる。町興しイベントとか商店街の活性化とかに焦点が当たる水商売もの、今まであったか?

いやこれ、内実ガッツリ地域振興漫画じゃん。あとユリちゃんかわいい。

 

まあもちろんギャグテイストも強くて全部鵜呑みにするわけじゃないんですが、

 

「ノルマのような目標は個々の向上心を阻害するので必要ない」

(わかる…ノルマとしてライセンスをもらうだけでその先の目標がないから誰も必死こいて活動しねえもんな…)

とか

 

「競争の激しい地域での顧客獲得よりも新規開拓を進める方がチャンスが多い」

(わかる…プロがみんなストリーマーのマネタイズ規定路線に乗っても大手の後追いに過ぎないしタイトルの認知的な広がりもないよな…)

とか

 

「立てるべき主役は自分達ではなく客」

(わかる…我をアピールできる人材は必要だけど、自分たちの自己満足だけで何かコンテンツを作っても見てる人に楽しんでもらえなきゃ意味ねえもんな…)

とか

 

なんだか最近プロゲーマーだったりタレント的な活動をする上で共感できる要素がめちゃくちゃあって爽快なんですよ。

そのフィルター越しの学びにおいて、今最もゲームやeスポーツ周りにおいて必要だと思っていることに迫ってみようと思います。

 

 

目次(3731文字)

 

 

 

ゲームコミュニティは「村」である

 

地域振興。

これ実は、僕らにとって全然他人事な話ではないんですよ。

インターネットが発足して、地域とは別の単位での繋がり、新たなコミュニティができた。それがゲーム村です。僕の記事読んでる人なら耳タコですよね。

 

先程の主人公アヤネは、商店街のおじいちゃんが事業活性化のために新しい取り組みを始めたことを成り行き上助けます。それを見た別のおじいちゃん集団が味を占めて、わらわらとアイディアを求めに来るシーンがあるわけです。それに対し彼女は、きっぱりとこう言い放ちます。

「自分でやってる事業なのに、何自分で考えないで他人に丸投げしてるの?」

ほんとそれ。村は放っておくと自助努力をしなくなるんです。恒常的に続いてきた場所は、変化することをあきらめた時点で考えることをやめてしまう。

 

このセリフはゲームで言い換えると、「君ら、ゲームが好きだから集まったし、そのゲームの面白さを共有してもっと多くの人に知ってもらいたかったんじゃないの?」ですよね。けれど、当然ながら村民みんな事業をしてるわけではないんですよ。行きがかり上そこに所属しただけで、自分が楽しめればいいと思っている人が大半。でも皆がそのスタンスだと実際の村同様いつかひなびていき、滅びる運命に進むということです。

僕はその課題を抱えているのはぷよぷよ村だけかなと思っていたけれど、実際そんなことはなかった。以前の記事で『村社会』というワードが各所に刺さったのは、他のゲーム村にいた人々が潜在的に抱えていた悩みに訴えかけるものがあったから、なのでしょう。

 

もちろん『村社会』という言葉はネガティブワードに捉えられがちですが、何事にも善し悪しがあります。ゲームコミュニティは強固な寄合所帯を長年に渡り作ってきたから存続してきた、とも捉えられるわけです。

村として機能するコミュニティの強い部分、弱い部分を分析して、上手に存続できるように考える役割の人間が必要。そしてその指針に対して、危機感を持った村民による全面的なバックアップが必要。ゲームコミュニティサイドはこの2点に尽きます。

 

 

eスポーツは「町」となった

 

町です。字面が意図するところは、村を統括する呼び名。

なおかつ、実はこの業界まだまだめっちゃ狭いというところ。村の中での第一人者達は、大体町の中でも認知度がそれなりにありますし、様々なところで密接に繋がっています。

 

村を存続させるための代表。自分の所属するゲームコミュニティを存続させたいと思っている人間は数多くいます。eスポーツという枠組みが新たにできたからこそ、彼らが集まれる場が生まれました。

まあ要するに、『eスポーツなんとか』に積極的に関わるのは村の外に出る行為です。ただやたら『eスポーツなんとか』しか言わない人間は、「おめえ、どこの村の生まれよ?」って言われたときに答えに窮し、生粋の村育ちの者達に訝しげな目で見られるわけです。(こいつ、根が浅いな…)と軽んじられると。

言い換えれば、『eスポーツなんとか』に抵抗があるなら、別のゲームを見に行くだけでも同じ効果は得られるのです。別に高尚なことなど何もないけど、呼び名がないからeスポーツって名前をつけて、町の概念をわかりやすくした。目的はそれだけです。

 

で、eスポーツは今後社会に認められていかなければならない立場のエンターテイメントです。認めてもらうためには今までのゲームに対する一般からの偏見を取り除いていかなければなりませんが、それぞれが(自分のゲームコミュニティだけが生き延びてほしい…)みたいに考えて、生存戦略に必死で他タイトルを貶めていたとしたら、そんな大それたことができるでしょうか?

 

貶めるまではいかないまでも、自分のタイトルの存続を背負っている人間達に、バイアスのかからない判断はできるでしょうか?いや、人間なのでおそらく身内贔屓が入ってしまいます。なので現場からはちょっと外れた立ち位置の人が、客観的にゲームを社会に認めてもらうための活動を専属で行う必要があるのです。

町として機能するeスポーツの強い部分、弱い部分を分析して、上手に認めてもらうように考える役割の人間が必要。そしてその指針に対して、危機感を持った町民による全面的なバックアップが必要。eスポーツコミュニティサイドはこの2点に尽きます。

 

そろそろお気づきですよね。

 

 

 

結局みんな、協力するしかない

 

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eスポーツを完全攻略しました。まとめwikiに貼っていいです。
この分類分けでの立ち位置が1つ離れるだけで視点が大きく異なり、日常的に意見が食い違います。なので大体モメるんですが、そこを両方の視点から上手く仲介して落としどころを見つける人が必要になってくると。

僕と但木さんが挙がってるのは僕の知ってる範囲内での話なんで単なる例示です。もっと偉大だったり、たくさんの方が関わってらっしゃいます。

ちなみに区分が2つ以上離れると何ひとつ物事が見えてないです。僕から国や社会がeスポーツをどう捉えてんのよって言われても全然わかんない。企業とか自治体はゲームコミュニティが実際何やってるのかとか大半は知らないでしょう。その状態で口を出すことは大体的外れなので、折衝できる人に大人しく委託するのが賢明です。

 

そして何よりモメる以前に、この4つの括りをした方々はある程度一枚岩になっていないと話し合いの席にすら就けないことになります。だからここでタイトル回収。

ゲームコミュニティという村属性においてはタイトル内での『同盟』。

eスポーツという町属性においてはゲームタイトル間を超えた『同盟』。

企業やら自治体という県属性においてはeスポーツを推進するための『同盟』。(JeSU?)

が成り立って、指針がまとまっていないことには話は一向に前に進まないから整理しなきゃねって話なんだと思ってます。

 

結局、互いが互いを知って、もっとコミュニケーション取って協力していかないと、何も進まんのです。多分。だから今後、福島ゲーミングDAYのような複合タイトル大会は国内eスポーツサイドの人間にとって鍵になってきますし、率先して参加して外側の情報を取り入れるのが吉です。理解を深めていきましょう。

 

 

こちらにもぷよぷよeスポーツが大会タイトルとして採用されており、当日は僕がゲストとして何か喋っておりますんで是非興味のある方は見ていってください。

 

 

池袋STORIAに来い 

 

何が言いたいかというと、「ぷよ×キャサ」の第三回が数時間後にあるので、まずは町に足を運びに来て、キャサリン村と交流を図ってみてね。というところでオチもつきましたでしょうか。

storia-cafe.com

 

 

ではまた。

ゲームにおいて、暴言、中傷、差別と10年間向き合ってきた僕の軌跡と答え

 

「顔が生理的に受け付けない」

10年前のぷよぷよ日韓戦で僕が初めて、配信のコメントにて受けた中傷である。今でも覚えている。

 

これは、醜悪な戦禍の歴史である。

 

babonyans-akiu.hatenadiary.com

 

今なお、戦禍は続いている。

 

 

かつて僕は、心無い攻撃に対して痛快な皮肉、溜飲を下すための低俗な言葉で対抗してきた時期があった。「名前も出せない卑怯なクズが」「まあ低能にはわからんだろう」などという苛烈な言葉だ。往々にして、過激な表現は周囲にウケるのだ。でも当然、攻撃をしてきた相手はそれで大人しく刃を納めることはない。そこから始まるのはただの戦争である。そんなやりとりを繰り返すうちに僕の心は荒んでいった。摩耗していった。

 

でもやはり、先に匿名で殴ってくる人間がいたから我慢ならなかったのだろう。僕は無差別な反撃をやめられなかった。そうやって、影響力のある人物の発言、マスメディアとして機能するランカーとしての発言がまた別の人間に刺さり、その人は「僕が先に殴ってきた」と錯覚する。結果、さらなる反発を受けるということが尋常じゃなく多かった。憎しみが憎しみを生む世界。

まさしく「あのデブ、空気と戦ってるよ…」状態である。客観的に見てみっともないことこの上ない。

 

匿名での暴言の空気に晒されるうちに、トップ層を含むコミュニティは巧妙に人や集団の悪口で盛り上がっていった。だからなのかはわからないが、そのうち人を貶めるのが面白い、と思う文化が定着していった。まさしく構図はいじめそのものである。恐ろしいことに、人を陰湿に攻撃することに麻痺してしまった集団が形成されてしまった。僕は被害者としても、加害者としても、それらのカルチャーの形成に深く関わりすぎている。

ふと、こんな世界は嫌だなと思ったが、どう思おうが物陰からの僕に対する攻撃は止まらなかったし、残念ながら反撃を飲み込み切れるほど性格のできた人間ではなかった。

 

 

なのでいつしか僕は、道化を演じるようになった。自分の心を守るにはそれが手っ取り早かったからだ。「デブですまん」「ブスで申し訳ねえ~」という先手を打つことによる緩和と、「いやいやネタだからね」「え、何マジになっちゃってるの?」という梯子外しを相手に押し付けるほうが、空気を味方につけるほうが、自衛手段として遥かに効果的であると気づいたからだ。多数派にいる方が圧倒的に楽だったからだ。でもそれは、あまりにも小市民的対処法で、根本的な解決とは縁遠いものだった。

 

自分が攻撃の的になりたくない。自分だけが生き残ればいい。そんな浅ましい処世術は界隈に蔓延していったし、真面目なことを言う人間は奇異な目で見られ、極度にふざけたことをする人間が人気を博するようになっていった。だから公に「暴言や中傷をやめよう」などと提言できる人間はいなかった。いや、したくともできなかった、というのが正しい。僕は何度か苦言を言ったこともあるが、その都度空気という名の同調圧力に潰されていた。苛烈な言葉が飛び交う空気を愉しみ、嗤うことこそが、皆の目的となってしまっている。何の制約もない趣味の世界において、「いつもそうだから」「当たり前だから」を個人単位で逸脱することは難しい。

 

こうなったのは誰が悪いと言うつもりはないが、誰もに責任があること、なのかもしれない。僕自身もダメージは負ってきたが、別に悲劇のヒロインを気取りたいわけではない。その分誰かを傷つけてきたかもしれないし、全体から見れば同罪なのである。起源は誰だったという犯人探しも、何の意味もなさない。互いが互いを罵り、アングラな世界観を形成することで古来よりのコミュニティは維持されていったのだ。

 

 

そんな中、ゲームはeスポーツと銘打たれ、突然市民権を得るようになっていった。綺麗ごとを言う必要が出てきた。でも、人は突然変わらない。ゲームに接する濃度が低い者ほど、いくらeスポーツを謳われようとも変化した自覚など感じない。というより本当は呼称しか変化していないのだから、当然の出来事である。ずっとゲーム文化の中に存在してきた者達にとって、暴言や中傷や差別を止める理由も、止まる理由ももとよりないのだ。自分が損してまで、公に提言できる人間はそうそういない。言えるのは被害を被った人間だけだ。だから自浄作用など働きようがないし、人間は隠れて耐える他人の不幸に心が痛まない。不幸を擁護する空気や、悪を断罪する義憤の空気が起きたときにしか、彼らは行動を起こさない。

 

仮に提言できるものがいたとして、攻撃に対して反撃しているようでは何も変わらない。むしろ事態を悪化させるだけだ。彼らはそんなに深く考えて一つ一つの言葉を書いているわけではないし、小難しいことを言ったところで届かないどころか、ただ神経を逆撫でするに過ぎないからだ。強い言葉を使って戦おうとするのは、ただの自己満足に過ぎない。

 

結局僕は、長年の経験から『空気を作る』しかないのだな、と切に感じた。人を貶すよりも、互いに褒める方が心地いいという空気を作る。いくら心無い攻撃を受けようと、諭し、宥め、説く。行うことは行ったうえで、人に変わることを期待してはいけない。そして悪意をあまり真正面から受け止める必要もないし、ただ自分のスタンスを表明し続けて、賛同者を集め続ける。長い長い懐柔の道のりだ。

 

また本当に悪辣なのが、その空気の作り方を理解していながら、自分だけ得をしようとしている人間がいることだ。自分のイメージを損なわないように空気を操作して、上手く人を貶めて面白がり人気を取ろうとする人間だ。これも個人的には許せないが、どう言おうとも人は変わらない。仕方ないのだ。だからせめて僕は、自分が損してでも他人に働きかけられる人達の味方をしよう。そう思った。

 

 

いかなる暴言、中傷、差別を受けようと、誰かがその憎しみを和らげなければ、怨嗟の連鎖は止まらない。その役割は、いったい誰が担うのだろうか?インターネット上に文化を作ってしまった、加担してしまった、我々中堅世代の仕事なのではないだろうか。人間同士は当然相容れない部分がある。それを全て受け入れろと言っているのではない。他人の悪い部分に目を向けるのではなく、良い部分に目を向ける。思想はそれぞれ違えども、非生産的な罵り合いではなく、互いに手を取り協力し合うことのできる、そういう集団、組織、同盟を多くの場所で作っていく必要がある。自分が通ってきた道での学びを忘れないようにしながらだ。

 

人間は本当に弱い。名前が出なければすぐに苛烈な言葉をぶつけられるし、自分のことでなければ平気で目を逸らせるし、学んだことも簡単に忘れてしまう。その弱さを責めるのではなく、各々が向き合えるように互助しよう。

 

 

これは、解放と贖罪の旅路である。

 

 

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あれ、これもしや俺、自分だけ得をしようとしている人間か??

 

 

ではまた。