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ゲームにおいて、暴言、中傷、差別と10年間向き合ってきた僕の軌跡と答え

 

「顔が生理的に受け付けない」

10年前のぷよぷよ日韓戦で僕が初めて、配信のコメントにて受けた中傷である。今でも覚えている。

 

これは、醜悪な戦禍の歴史である。

 

babonyans-akiu.hatenadiary.com

 

今なお、戦禍は続いている。

 

 

かつて僕は、心無い攻撃に対して痛快な皮肉、溜飲を下すための低俗な言葉で対抗してきた時期があった。「名前も出せない卑怯なクズが」「まあ低能にはわからんだろう」などという苛烈な言葉だ。往々にして、過激な表現は周囲にウケるのだ。でも当然、攻撃をしてきた相手はそれで大人しく刃を納めることはない。そこから始まるのはただの戦争である。そんなやりとりを繰り返すうちに僕の心は荒んでいった。摩耗していった。

 

でもやはり、先に匿名で殴ってくる人間がいたから我慢ならなかったのだろう。僕は無差別な反撃をやめられなかった。そうやって、影響力のある人物の発言、マスメディアとして機能するランカーとしての発言がまた別の人間に刺さり、その人は「僕が先に殴ってきた」と錯覚する。結果、さらなる反発を受けるということが尋常じゃなく多かった。憎しみが憎しみを生む世界。

まさしく「あのデブ、空気と戦ってるよ…」状態である。客観的に見てみっともないことこの上ない。

 

匿名での暴言の空気に晒されるうちに、トップ層を含むコミュニティは巧妙に人や集団の悪口で盛り上がっていった。だからなのかはわからないが、そのうち人を貶めるのが面白い、と思う文化が定着していった。まさしく構図はいじめそのものである。恐ろしいことに、人を陰湿に攻撃することに麻痺してしまった集団が形成されてしまった。僕は被害者としても、加害者としても、それらのカルチャーの形成に深く関わりすぎている。

ふと、こんな世界は嫌だなと思ったが、どう思おうが物陰からの僕に対する攻撃は止まらなかったし、残念ながら反撃を飲み込み切れるほど性格のできた人間ではなかった。

 

 

なのでいつしか僕は、道化を演じるようになった。自分の心を守るにはそれが手っ取り早かったからだ。「デブですまん」「ブスで申し訳ねえ~」という先手を打つことによる緩和と、「いやいやネタだからね」「え、何マジになっちゃってるの?」という梯子外しを相手に押し付けるほうが、空気を味方につけるほうが、自衛手段として遥かに効果的であると気づいたからだ。多数派にいる方が圧倒的に楽だったからだ。でもそれは、あまりにも小市民的対処法で、根本的な解決とは縁遠いものだった。

 

自分が攻撃の的になりたくない。自分だけが生き残ればいい。そんな浅ましい処世術は界隈に蔓延していったし、真面目なことを言う人間は奇異な目で見られ、極度にふざけたことをする人間が人気を博するようになっていった。だから公に「暴言や中傷をやめよう」などと提言できる人間はいなかった。いや、したくともできなかった、というのが正しい。僕は何度か苦言を言ったこともあるが、その都度空気という名の同調圧力に潰されていた。苛烈な言葉が飛び交う空気を愉しみ、嗤うことこそが、皆の目的となってしまっている。何の制約もない趣味の世界において、「いつもそうだから」「当たり前だから」を個人単位で逸脱することは難しい。

 

こうなったのは誰が悪いと言うつもりはないが、誰もに責任があること、なのかもしれない。僕自身もダメージは負ってきたが、別に悲劇のヒロインを気取りたいわけではない。その分誰かを傷つけてきたかもしれないし、全体から見れば同罪なのである。起源は誰だったという犯人探しも、何の意味もなさない。互いが互いを罵り、アングラな世界観を形成することで古来よりのコミュニティは維持されていったのだ。

 

 

そんな中、ゲームはeスポーツと銘打たれ、突然市民権を得るようになっていった。綺麗ごとを言う必要が出てきた。でも、人は突然変わらない。ゲームに接する濃度が低い者ほど、いくらeスポーツを謳われようとも変化した自覚など感じない。というより本当は呼称しか変化していないのだから、当然の出来事である。ずっとゲーム文化の中に存在してきた者達にとって、暴言や中傷や差別を止める理由も、止まる理由ももとよりないのだ。自分が損してまで、公に提言できる人間はそうそういない。言えるのは被害を被った人間だけだ。だから自浄作用など働きようがないし、人間は隠れて耐える他人の不幸に心が痛まない。不幸を擁護する空気や、悪を断罪する義憤の空気が起きたときにしか、彼らは行動を起こさない。

 

仮に提言できるものがいたとして、攻撃に対して反撃しているようでは何も変わらない。むしろ事態を悪化させるだけだ。彼らはそんなに深く考えて一つ一つの言葉を書いているわけではないし、小難しいことを言ったところで届かないどころか、ただ神経を逆撫でするに過ぎないからだ。強い言葉を使って戦おうとするのは、ただの自己満足に過ぎない。

 

結局僕は、長年の経験から『空気を作る』しかないのだな、と切に感じた。人を貶すよりも、互いに褒める方が心地いいという空気を作る。いくら心無い攻撃を受けようと、諭し、宥め、説く。行うことは行ったうえで、人に変わることを期待してはいけない。そして悪意をあまり真正面から受け止める必要もないし、ただ自分のスタンスを表明し続けて、賛同者を集め続ける。長い長い懐柔の道のりだ。

 

また本当に悪辣なのが、その空気の作り方を理解していながら、自分だけ得をしようとしている人間がいることだ。自分のイメージを損なわないように空気を操作して、上手く人を貶めて面白がり人気を取ろうとする人間だ。これも個人的には許せないが、どう言おうとも人は変わらない。仕方ないのだ。だからせめて僕は、自分が損してでも他人に働きかけられる人達の味方をしよう。そう思った。

 

 

いかなる暴言、中傷、差別を受けようと、誰かがその憎しみを和らげなければ、怨嗟の連鎖は止まらない。その役割は、いったい誰が担うのだろうか?インターネット上に文化を作ってしまった、加担してしまった、我々中堅世代の仕事なのではないだろうか。人間同士は当然相容れない部分がある。それを全て受け入れろと言っているのではない。他人の悪い部分に目を向けるのではなく、良い部分に目を向ける。思想はそれぞれ違えども、非生産的な罵り合いではなく、互いに手を取り協力し合うことのできる、そういう集団、組織、同盟を多くの場所で作っていく必要がある。自分が通ってきた道での学びを忘れないようにしながらだ。

 

人間は本当に弱い。名前が出なければすぐに苛烈な言葉をぶつけられるし、自分のことでなければ平気で目を逸らせるし、学んだことも簡単に忘れてしまう。その弱さを責めるのではなく、各々が向き合えるように互助しよう。

 

 

これは、解放と贖罪の旅路である。

 

 

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あれ、これもしや俺、自分だけ得をしようとしている人間か??

 

 

ではまた。