こんばんは。
かわんさんをターゲットとした分析記事。
かわんさんの書くブログ (上記とは別)はちょこちょこ見ているんですが、一記事が長い割に面白いくらいに内容がスーッと頭の中に入ってきます。
「ネットという新しい大陸に居場所を求めた人間」っていうルーツが似通っているからなのでしょうか。
僕の場合なんかも、知能的な発達はどちらかといえば早い方だったのですが、社会的な発達は明らかに遅い方でした。
サブカルチャーの先駆けとなった方々は、程度の差こそあれど何かしらそういう傾向にあると思っています。
ここでいう社会的な発達の遅れっていうのは、団体や組織内で周囲が求める『普通』に馴染むことが苦手であったり、そもそも周囲から見たときの『普通』にひどく鈍感で、馴染んでいないことにすら気が付いていなかったりするようなことです。
対人とのコミュニケーション能力に何らかの支障があるケースが多いのかなと思います。
・学校というのは、個性伸長というよりも汎用人間を作り上げる場所
(※これは実際に教鞭を取っておられる方を軽く見るものではなく、日本の教育のシステム上でという話です)
元々学校(義務教育)というのは、人間が歴史上培ってきたノウハウを『基礎スキル』としてインストールする場です。
もちろん先生方はそれだけに留まらぬようを鋭意努力していると思うのですが、集団学習という時点でどうしても個人へのサポートは限界が出てきます。
だから、度々こう指摘されることがあります。
「学校は知識を教えてくれるけれど生き方を教えてくれない。」
でもこれは実は大嘘で、学校はすでに一般化された生き方へのヒントは求めればいくらでも教示してくれます。
一般化された生き方は今まで大半の人間にとって苦ではないものだったのですが、社会的な『普通』に馴染めない人達はそうも言ってられません。
そこらへんの齟齬から生まれる指摘なのでしょう。
そんな中、インターネットの発達により大衆がマスメディアの情報誘導を受けにくくなったのもあいまってか、個性を突き詰めた”教育者も知らないような全く新しい生き方“が成立するようになり始めました。
Youtuberはその最たるものだし、
100人が「お前なんかに奢らねえ!」と言ったとしても、3人が「奢りたい!」と言ったなら、ぼくは3度のメシが食えるんです。奢らないひとが何人いようと、ぼくが奢られる数は、まったく減らない。つまり、「どれだけ嫌われているか」は関係がなく、「どれだけ好かれているか」だけが重要なんです。
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) 2018年5月6日
他人の金だけで生活している人もいる。すげえ。
生き方に多様性が認められつつあるこの時勢において、学校という一つの箱がカバーリングできる範囲はどんどん狭くなっているんじゃないか。
そう感じ始めています。
・ゲーマー文化の最初の最初
で、先程挙げた通り、学校で社会的な『普通』に馴染めない子供たちが、例えば迫害を受けるなどしてネットに居場所を求めるとどうなるか。
そりゃもう自明な話で、ネット上のモラルは阿鼻叫喚と化しますよね。
「他人を傷つける言動をしてはいけない」だとか、
「無関係な人に不用意に自分の情報を出してはいけない」だとか、
「仲間外れにされないために他人の行動を見て人との関わり方を学ぶ」だとか、
そういうことを理解したり、納得ができなかったがゆえに流れ着いてきた場所なのだから。
すなわち、モンスターキッズ達の集落の完成です。
図:モンスターキッズにいじめられる堀部孝昌
多くのゲーマー文化においてもこれは他人事ではなく、時代によりその形は違えど大体の成り立ち方は似通っているのではないかと見ています。
そして当然、直接本人にうるさいことをいう教育者はネット上に存在しません。いくらでも遮断や逃避が可能な世界だから。
じゃあ残念なことに、リアルに失望し、ネット上を安息の地に定めたモンスターキッズ達は永遠に低モラルのままなのか?
僕の私見では、「No」です。
・受動的な「教育」と、能動的な「薫陶」
ネット上の子供たちは、やりたいことの追究が個人で容易にできるようになりました。
同時に、様々な人々の生き方に触れることが可能であり、まさしく薫陶を受けるチャンスに溢れています。
これこそが自主性であり、「教育」ではなかなか手の届きにくい分野なのです。
薫陶を受けるというのは、一見字面は受動的に見えても、受け手側の探知行動がトリガーになっています。
「この人のこういう部分を見習いたい!」と思う感情は自分由来でしかないからです。
元より自主性は促すだけで、与えることのできない要素。能動的な働きかけでなければ身に付きません。
生き方は教わるものではなく、探すものであり、見つけるものである。
「教育」で見つからなかったのなら、「薫陶」を受けに、自身の視野を広げていくべき時代なのでしょう。
そして、本当にやりたいことを実現するための学習というのは、驚くほど自然と身についていきます。
…で、なんでこういうことを言うのか?というと、僕自身も「薫陶」による成長の道筋を辿ってきたからです。
ゲーマーとして多くの人々と触れることで初めて、(自分もこうありたい)という意欲にようやく繋げることができた。
これを読んでいる人達が、「liveの言うことはもっともだ」と思うなら拾って役立ててくれればいいし、仮にそうでなくても広大な世界には共感できる考えや生き方がきっとあるはずです。
自分のペースで。自分の生き方を学んでいきましょう。