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ゆるふわ

 

朝4時半に新宿のスーパー銭湯でこれを書いております。

大体こういう書き始めのときはエモーショナルな気分のときなのですが、例に漏れずといった感じでしょうか。おはようございます。

 

 

本日は、どうにも自分の言葉の軽さ、引きの弱さみたいなものを実感してしまったなあという一日でした。

 

これだけ書くとゆるふわのプレゼンが上手くいかなかったのかな〜、みたいな心象を与えそうです。正直それも内心あるにはあるのですが、んなことは単なる一要因でしかなくて。

僕個人的にはああいった場そのものが、話術、言語化能力、人間としての魅力そのものを問われる場所だと思っているんですね。

この際そんなコンセプトを内々に持つことがゆるふわらしいかという是非は抜きにして、人間として評価される側面はあると思っているのです。

 

経験、知名度、みたいな部分で敵わないというのはまあ理解できます。むしろその場に並び立つチャンスがもらえる時点で、以前の僕からすれば信じられないような僥倖です。

でも、だからこそ、今まで雲の上のようだった存在の方々と、自分を比較しなければならないフェーズに立ったのだなということを、今回むざむざと感じさせられて。

 

界隈内で独自のポジションを築き、多少なりとお声がけいただけるようになってきた身ではあるものの、じゃあ同じように各コミュニティからふるいにかけられて残った人間達の中で、僕は一体何を魅力として戦えばいいのか?

それがぱっと思いつかないことがなんだか無性に悔しくなってしまいました。

 

「何でも屋」のジレンマなのでしょうか。

 

 

やはりですね、プレゼンに限らず、殿上人達と複数人で話しているとわかるんですよ。自分よりも誰に興味が向いているか。誰の話を聞いてみたいか。

これは、どうやら僕には向けられてはいないなということは察知できます。そんなことは別にいいのです。「この面々ならば、自分よりも誰かに興味が向くのは当然だ」と自分が納得してしまうのがすごく嫌だったのです。

 

 

なんなんでしょうね。ゲーマー特有の負けず嫌いの性分なのでしょうか。それとも僕が今、自分の存在価値だと思い拠り所にしている部分を、自ら塗り潰してしまうかのような生理的嫌悪感からなのでしょうか。

技術なのか、知名度なのか、実績なのか。より他に先んずる何かをもってして、自衛しなければならないなと切に思うわけです。もはや、コミュニティ内だけがライバルではない。

 

 

だから、今一度再確認しなければならないと。

 

僕が結果として目指すべき場所は一体どこなのか?

ロードマップは一体どこに敷かれているものなのか?

 

 

というのを考えたとき、僕のやっていることはまるで定量化できないことだなと気付きました。

熱意を伝えるだとか、後進を育てるだとか、競技を普及するだとか、界隈に貢献するだとか。

 

目標があまりにも曖昧すぎるし、結果が目に見えなさすぎるのです。

まるで数値化できないからこそ、評判というぼやかされた評価軸で各方面から取り立てていただいて本当にありがたい限りなのですが、本当はもっと自分にシビアに生きる必要があるのかもしれません。

 

曖昧にして、怠けていては、成長はなく。

内と外に繋げるパスとしての存在から、外と並び立ち協業できる存在に変化しなければ、

 

 

 

この劣等感が収まることはない。