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— live/りべ⚡️ (@livedesu) 2025年3月31日
BMEとのチーム契約が満了となりました。
約2年半、ありがとうございました。
あまり自覚的じゃなかったんですが、仕事を辞めるとか、所属がなくなるとか、わりとこういうことに対して凹むタイプみたいでして、しばらく空元気っぽく振舞ってることが多いと思います。
別に一般的に見ればこういった去就なんて普通にどこにでもあることですし、記事も出さずにすぐに配信でもしようかな~と思ってたんですが、こんな形式ばった挨拶文も出してすぐケロッとしてるのも変だな~とか、エイプリルフールも挟まって動き方がだるいな~とか、いろいろ考えてたらこんな日付になってしまった次第でございます。
で結局、なんか諸々はっきりさせとかないと次に進みづらいなと思ったので、今後の活動指針について述べていきます。
選手活動について
今のところ競技のぷよぷよについて休止や引退などをするつもりは全くありません。
客観的に見たとき、自分はまだ強い部類のプレイヤーであると思えるためです。
強いのもそうなんですが、結局自分は選手をすることが一番楽しいですし、上達の実感がまだまだ得られているのが大きいんですよね。
未だにこういう気持ちがなくならないということは、やっぱり自分はぷよぷよの才能があるタイプの人間なんだなと自覚してきています。
というわけで、引き続き公式大会や新おいうリーグなど、出場できるところにはどんどん出ていく所存です。
チームのお誘いとかあればまだまだ考えたいなとは思っていますが、実力的にはそういう席に着くべき若手がもう上がってきてるんじゃないかなという思いもあり、要検討というところ。
仕事/生計について
こっちはいよいよのっぴきならなくなってきました。
今すぐ生活できなくなる!というわけではないですが、現状あては特になく、一つの転機であることは確かかなと思います。
とはいえここ数年、30代も半ばになって(不定期案件や不安定な収入でいつまで食っていくつもりなんだ?)という疑念はずっとあったので、きちんと兼業に戻るチャンスだなとも感じています。
仕事を選んでられる歳でも境遇でもないですし、当面は収入を安定させることが目標になりそうです。
これまで人の縁で食いつないできた部分が強いので、また皆様にご相談させていただくこともあるかもしれません。
良いお話などありましたらこっそり教えてください。
体調面について
一生行こう行こう詐欺をしていた健康診断にいい加減行きます。(4月中)
身体が変に頑健なせいで、腰痛以外特に大きな支障もなく暮らせてしまっているのがなまじよくない。
食生活、睡眠、運動量も大幅改善して、とりあえず第2回新おいうリーグまでに80kg台に戻せれば御の字かな~と。
恒常的な仕事を再開するにしても、体力がなければ始まらないので優先度はかなり高めです。
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理念について
ここからはちょっと長くなります。
自分の人生というのは、途中からぷよぷよに対する使命感に支配されていました。
だいたい時期でいうと、2016~2021年くらいでしょうかね。
2018年にプロになってからは特に顕著でした。
何かしら界隈に貢献したくて、海外にも行きましたし、コラムや本も書きました。対戦会も大会も開きました。配信も動画投稿もしました。実況解説もしましたし、MCもやりました。講演も講師もしましたね。
自分が先駆けてやらなければいけない、と少なからず思っていました。
先んじて動いたおかげで、様々な人と巡り会えたのは本当に幸運だったと思っています。
でも実際は、自分は別に能力も高くなければ頭もよくないのが実情です。
がむしゃらにただ行動はしましたが、失敗もたくさんしましたし、周囲に失望や軽蔑などもたくさんされたでしょう。
2021年に最強リーグが始まってから、自分はもう迷惑をかけないために、界隈においてメインじゃなくサブの位置づけで動いて貢献する方がいいんじゃないかと思うようになりました。
苛まれていた使命感から解放されたわけです。
ところがその途端、何のために生きているのかわからなくなって自分が空っぽになってしまいました。
代わりに、再度競技のぷよぷよに注力したらそこそこの戦績を残すことができました。
だから、とりあえず専業で生活できなくなるラインまでは競技に注力しようとなり、今に至ります。
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ここ数年、ぼんやりと生きながら様々なことを考えました。
(俺がぷよぷよ界隈に関わって一番嬉しかったことは何だろう?)
ふとそんなことを考え、真っ先に思いついた感情をたぐり寄せます。
20歳で上京して就職した仕事を辞め、敷かれたレールから外れたあの日、
自分より上の世代の生き方の自由さ、破天荒さに強く救われた覚えがありました。
彼らと交流するうちに、自分が楽観的に生きることへの後ろめたさ、みたいなものが薄らいでいきました。
自らを悲観せずに生きることができるようになりました。
(ああ、だからあの日俺はプロになる決心ができたのか)
自分にはずっと、人生の理想像みたいなものがありませんでした。
自分の人生には価値なんてないと思いながら過ごしてきました。
だから事あるごとに分岐点で定職を蹴ってでも、先の見えない道に飛び込む選択肢に踏み切れたのでしょう。
(求められ、認められ、嬉しくて、俺は望んで使命感に縛られていったのか)
降って湧いた使命感で空いた理想像を埋めようとしたわけです。
だから、使命感に支配されていることが幸せでした。
そうやって、やりたいように生きることができたので全く後悔はないなと思っています。
(じゃあ使命も理想も失って俺は今、素直にどうであると嬉しいんだ?)
競技を続けること。
競技を通して人と交流すること。
競技が迎える到達点を見届けること。
願わくば…
自分が先人にもかつて救われたように。
競技に殉じる人生もいいなと思えるよう、人を肯定してあげられること。
(なんだ、やっぱりどこまでいっても最後は選手なんだな、俺は)
だから、競技は続け、それを支えるため兼業に戻ることも厭わない…というのが自分の中の答えになりました。
自分のように、好き勝手生きることが正しい見本だとは全く思いません。
でも、それを見た人間が、仮に憧れるでもよし、反面教師にするでもよし。
ありのままに生きた人間がいたという先例が、いずれ礎のひとつとなるのでしょう。
プロゲーマーという生き方のモデルケースの一つを完成させるために、筆をとり続け、背中を見せ続けるのが今の自分の使命であり、理念なのかもしれません。