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村と町、地域振興、eスポーツ……何故今、ゲームタイトル間での『同盟』が必要なのか?

りべです。

 

 

最近、『ヒマチの嬢王』という漫画を読んでいます。

urasunday.com

 

水商売ものか~と思って何の気なしに読み始めてみたんですが、これめっちゃ面白い。

よくある(あ~主人公が成り上がる系漫画ね~)って予想を立ててたら、元歌舞伎町No.1キャバ嬢の主人公アヤネは鳥取の朝日町に帰って以来全然キャバ嬢として働いてない。なにこれ。

何やかんやあって水商売の世界に戻るんだけど、彼女がやることは完全に経営者寄り。てかだんだん方向性や舞台がキャバクラ関係なくなってくる。町興しイベントとか商店街の活性化とかに焦点が当たる水商売もの、今まであったか?

いやこれ、内実ガッツリ地域振興漫画じゃん。あとユリちゃんかわいい。

 

まあもちろんギャグテイストも強くて全部鵜呑みにするわけじゃないんですが、

 

「ノルマのような目標は個々の向上心を阻害するので必要ない」

(わかる…ノルマとしてライセンスをもらうだけでその先の目標がないから誰も必死こいて活動しねえもんな…)

とか

 

「競争の激しい地域での顧客獲得よりも新規開拓を進める方がチャンスが多い」

(わかる…プロがみんなストリーマーのマネタイズ規定路線に乗っても大手の後追いに過ぎないしタイトルの認知的な広がりもないよな…)

とか

 

「立てるべき主役は自分達ではなく客」

(わかる…我をアピールできる人材は必要だけど、自分たちの自己満足だけで何かコンテンツを作っても見てる人に楽しんでもらえなきゃ意味ねえもんな…)

とか

 

なんだか最近プロゲーマーだったりタレント的な活動をする上で共感できる要素がめちゃくちゃあって爽快なんですよ。

そのフィルター越しの学びにおいて、今最もゲームやeスポーツ周りにおいて必要だと思っていることに迫ってみようと思います。

 

 

目次(3731文字)

 

 

 

ゲームコミュニティは「村」である

 

地域振興。

これ実は、僕らにとって全然他人事な話ではないんですよ。

インターネットが発足して、地域とは別の単位での繋がり、新たなコミュニティができた。それがゲーム村です。僕の記事読んでる人なら耳タコですよね。

 

先程の主人公アヤネは、商店街のおじいちゃんが事業活性化のために新しい取り組みを始めたことを成り行き上助けます。それを見た別のおじいちゃん集団が味を占めて、わらわらとアイディアを求めに来るシーンがあるわけです。それに対し彼女は、きっぱりとこう言い放ちます。

「自分でやってる事業なのに、何自分で考えないで他人に丸投げしてるの?」

ほんとそれ。村は放っておくと自助努力をしなくなるんです。恒常的に続いてきた場所は、変化することをあきらめた時点で考えることをやめてしまう。

 

このセリフはゲームで言い換えると、「君ら、ゲームが好きだから集まったし、そのゲームの面白さを共有してもっと多くの人に知ってもらいたかったんじゃないの?」ですよね。けれど、当然ながら村民みんな事業をしてるわけではないんですよ。行きがかり上そこに所属しただけで、自分が楽しめればいいと思っている人が大半。でも皆がそのスタンスだと実際の村同様いつかひなびていき、滅びる運命に進むということです。

僕はその課題を抱えているのはぷよぷよ村だけかなと思っていたけれど、実際そんなことはなかった。以前の記事で『村社会』というワードが各所に刺さったのは、他のゲーム村にいた人々が潜在的に抱えていた悩みに訴えかけるものがあったから、なのでしょう。

 

もちろん『村社会』という言葉はネガティブワードに捉えられがちですが、何事にも善し悪しがあります。ゲームコミュニティは強固な寄合所帯を長年に渡り作ってきたから存続してきた、とも捉えられるわけです。

村として機能するコミュニティの強い部分、弱い部分を分析して、上手に存続できるように考える役割の人間が必要。そしてその指針に対して、危機感を持った村民による全面的なバックアップが必要。ゲームコミュニティサイドはこの2点に尽きます。

 

 

eスポーツは「町」となった

 

町です。字面が意図するところは、村を統括する呼び名。

なおかつ、実はこの業界まだまだめっちゃ狭いというところ。村の中での第一人者達は、大体町の中でも認知度がそれなりにありますし、様々なところで密接に繋がっています。

 

村を存続させるための代表。自分の所属するゲームコミュニティを存続させたいと思っている人間は数多くいます。eスポーツという枠組みが新たにできたからこそ、彼らが集まれる場が生まれました。

まあ要するに、『eスポーツなんとか』に積極的に関わるのは村の外に出る行為です。ただやたら『eスポーツなんとか』しか言わない人間は、「おめえ、どこの村の生まれよ?」って言われたときに答えに窮し、生粋の村育ちの者達に訝しげな目で見られるわけです。(こいつ、根が浅いな…)と軽んじられると。

言い換えれば、『eスポーツなんとか』に抵抗があるなら、別のゲームを見に行くだけでも同じ効果は得られるのです。別に高尚なことなど何もないけど、呼び名がないからeスポーツって名前をつけて、町の概念をわかりやすくした。目的はそれだけです。

 

で、eスポーツは今後社会に認められていかなければならない立場のエンターテイメントです。認めてもらうためには今までのゲームに対する一般からの偏見を取り除いていかなければなりませんが、それぞれが(自分のゲームコミュニティだけが生き延びてほしい…)みたいに考えて、生存戦略に必死で他タイトルを貶めていたとしたら、そんな大それたことができるでしょうか?

 

貶めるまではいかないまでも、自分のタイトルの存続を背負っている人間達に、バイアスのかからない判断はできるでしょうか?いや、人間なのでおそらく身内贔屓が入ってしまいます。なので現場からはちょっと外れた立ち位置の人が、客観的にゲームを社会に認めてもらうための活動を専属で行う必要があるのです。

町として機能するeスポーツの強い部分、弱い部分を分析して、上手に認めてもらうように考える役割の人間が必要。そしてその指針に対して、危機感を持った町民による全面的なバックアップが必要。eスポーツコミュニティサイドはこの2点に尽きます。

 

そろそろお気づきですよね。

 

 

 

結局みんな、協力するしかない

 

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eスポーツを完全攻略しました。まとめwikiに貼っていいです。
この分類分けでの立ち位置が1つ離れるだけで視点が大きく異なり、日常的に意見が食い違います。なので大体モメるんですが、そこを両方の視点から上手く仲介して落としどころを見つける人が必要になってくると。

僕と但木さんが挙がってるのは僕の知ってる範囲内での話なんで単なる例示です。もっと偉大だったり、たくさんの方が関わってらっしゃいます。

ちなみに区分が2つ以上離れると何ひとつ物事が見えてないです。僕から国や社会がeスポーツをどう捉えてんのよって言われても全然わかんない。企業とか自治体はゲームコミュニティが実際何やってるのかとか大半は知らないでしょう。その状態で口を出すことは大体的外れなので、折衝できる人に大人しく委託するのが賢明です。

 

そして何よりモメる以前に、この4つの括りをした方々はある程度一枚岩になっていないと話し合いの席にすら就けないことになります。だからここでタイトル回収。

ゲームコミュニティという村属性においてはタイトル内での『同盟』。

eスポーツという町属性においてはゲームタイトル間を超えた『同盟』。

企業やら自治体という県属性においてはeスポーツを推進するための『同盟』。(JeSU?)

が成り立って、指針がまとまっていないことには話は一向に前に進まないから整理しなきゃねって話なんだと思ってます。

 

結局、互いが互いを知って、もっとコミュニケーション取って協力していかないと、何も進まんのです。多分。だから今後、福島ゲーミングDAYのような複合タイトル大会は国内eスポーツサイドの人間にとって鍵になってきますし、率先して参加して外側の情報を取り入れるのが吉です。理解を深めていきましょう。

 

 

こちらにもぷよぷよeスポーツが大会タイトルとして採用されており、当日は僕がゲストとして何か喋っておりますんで是非興味のある方は見ていってください。

 

 

池袋STORIAに来い 

 

何が言いたいかというと、「ぷよ×キャサ」の第三回が数時間後にあるので、まずは町に足を運びに来て、キャサリン村と交流を図ってみてね。というところでオチもつきましたでしょうか。

storia-cafe.com

 

 

ではまた。

ゲームにおいて、暴言、中傷、差別と10年間向き合ってきた僕の軌跡と答え

 

「顔が生理的に受け付けない」

10年前のぷよぷよ日韓戦で僕が初めて、配信のコメントにて受けた中傷である。今でも覚えている。

 

これは、醜悪な戦禍の歴史である。

 

babonyans-akiu.hatenadiary.com

 

今なお、戦禍は続いている。

 

 

かつて僕は、心無い攻撃に対して痛快な皮肉、溜飲を下すための低俗な言葉で対抗してきた時期があった。「名前も出せない卑怯なクズが」「まあ低能にはわからんだろう」などという苛烈な言葉だ。往々にして、過激な表現は周囲にウケるのだ。でも当然、攻撃をしてきた相手はそれで大人しく刃を納めることはない。そこから始まるのはただの戦争である。そんなやりとりを繰り返すうちに僕の心は荒んでいった。摩耗していった。

 

でもやはり、先に匿名で殴ってくる人間がいたから我慢ならなかったのだろう。僕は無差別な反撃をやめられなかった。そうやって、影響力のある人物の発言、マスメディアとして機能するランカーとしての発言がまた別の人間に刺さり、その人は「僕が先に殴ってきた」と錯覚する。結果、さらなる反発を受けるということが尋常じゃなく多かった。憎しみが憎しみを生む世界。

まさしく「あのデブ、空気と戦ってるよ…」状態である。客観的に見てみっともないことこの上ない。

 

匿名での暴言の空気に晒されるうちに、トップ層を含むコミュニティは巧妙に人や集団の悪口で盛り上がっていった。だからなのかはわからないが、そのうち人を貶めるのが面白い、と思う文化が定着していった。まさしく構図はいじめそのものである。恐ろしいことに、人を陰湿に攻撃することに麻痺してしまった集団が形成されてしまった。僕は被害者としても、加害者としても、それらのカルチャーの形成に深く関わりすぎている。

ふと、こんな世界は嫌だなと思ったが、どう思おうが物陰からの僕に対する攻撃は止まらなかったし、残念ながら反撃を飲み込み切れるほど性格のできた人間ではなかった。

 

 

なのでいつしか僕は、道化を演じるようになった。自分の心を守るにはそれが手っ取り早かったからだ。「デブですまん」「ブスで申し訳ねえ~」という先手を打つことによる緩和と、「いやいやネタだからね」「え、何マジになっちゃってるの?」という梯子外しを相手に押し付けるほうが、空気を味方につけるほうが、自衛手段として遥かに効果的であると気づいたからだ。多数派にいる方が圧倒的に楽だったからだ。でもそれは、あまりにも小市民的対処法で、根本的な解決とは縁遠いものだった。

 

自分が攻撃の的になりたくない。自分だけが生き残ればいい。そんな浅ましい処世術は界隈に蔓延していったし、真面目なことを言う人間は奇異な目で見られ、極度にふざけたことをする人間が人気を博するようになっていった。だから公に「暴言や中傷をやめよう」などと提言できる人間はいなかった。いや、したくともできなかった、というのが正しい。僕は何度か苦言を言ったこともあるが、その都度空気という名の同調圧力に潰されていた。苛烈な言葉が飛び交う空気を愉しみ、嗤うことこそが、皆の目的となってしまっている。何の制約もない趣味の世界において、「いつもそうだから」「当たり前だから」を個人単位で逸脱することは難しい。

 

こうなったのは誰が悪いと言うつもりはないが、誰もに責任があること、なのかもしれない。僕自身もダメージは負ってきたが、別に悲劇のヒロインを気取りたいわけではない。その分誰かを傷つけてきたかもしれないし、全体から見れば同罪なのである。起源は誰だったという犯人探しも、何の意味もなさない。互いが互いを罵り、アングラな世界観を形成することで古来よりのコミュニティは維持されていったのだ。

 

 

そんな中、ゲームはeスポーツと銘打たれ、突然市民権を得るようになっていった。綺麗ごとを言う必要が出てきた。でも、人は突然変わらない。ゲームに接する濃度が低い者ほど、いくらeスポーツを謳われようとも変化した自覚など感じない。というより本当は呼称しか変化していないのだから、当然の出来事である。ずっとゲーム文化の中に存在してきた者達にとって、暴言や中傷や差別を止める理由も、止まる理由ももとよりないのだ。自分が損してまで、公に提言できる人間はそうそういない。言えるのは被害を被った人間だけだ。だから自浄作用など働きようがないし、人間は隠れて耐える他人の不幸に心が痛まない。不幸を擁護する空気や、悪を断罪する義憤の空気が起きたときにしか、彼らは行動を起こさない。

 

仮に提言できるものがいたとして、攻撃に対して反撃しているようでは何も変わらない。むしろ事態を悪化させるだけだ。彼らはそんなに深く考えて一つ一つの言葉を書いているわけではないし、小難しいことを言ったところで届かないどころか、ただ神経を逆撫でするに過ぎないからだ。強い言葉を使って戦おうとするのは、ただの自己満足に過ぎない。

 

結局僕は、長年の経験から『空気を作る』しかないのだな、と切に感じた。人を貶すよりも、互いに褒める方が心地いいという空気を作る。いくら心無い攻撃を受けようと、諭し、宥め、説く。行うことは行ったうえで、人に変わることを期待してはいけない。そして悪意をあまり真正面から受け止める必要もないし、ただ自分のスタンスを表明し続けて、賛同者を集め続ける。長い長い懐柔の道のりだ。

 

また本当に悪辣なのが、その空気の作り方を理解していながら、自分だけ得をしようとしている人間がいることだ。自分のイメージを損なわないように空気を操作して、上手く人を貶めて面白がり人気を取ろうとする人間だ。これも個人的には許せないが、どう言おうとも人は変わらない。仕方ないのだ。だからせめて僕は、自分が損してでも他人に働きかけられる人達の味方をしよう。そう思った。

 

 

いかなる暴言、中傷、差別を受けようと、誰かがその憎しみを和らげなければ、怨嗟の連鎖は止まらない。その役割は、いったい誰が担うのだろうか?インターネット上に文化を作ってしまった、加担してしまった、我々中堅世代の仕事なのではないだろうか。人間同士は当然相容れない部分がある。それを全て受け入れろと言っているのではない。他人の悪い部分に目を向けるのではなく、良い部分に目を向ける。思想はそれぞれ違えども、非生産的な罵り合いではなく、互いに手を取り協力し合うことのできる、そういう集団、組織、同盟を多くの場所で作っていく必要がある。自分が通ってきた道での学びを忘れないようにしながらだ。

 

人間は本当に弱い。名前が出なければすぐに苛烈な言葉をぶつけられるし、自分のことでなければ平気で目を逸らせるし、学んだことも簡単に忘れてしまう。その弱さを責めるのではなく、各々が向き合えるように互助しよう。

 

 

これは、解放と贖罪の旅路である。

 

 

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あれ、これもしや俺、自分だけ得をしようとしている人間か??

 

 

ではまた。

 

フランスのStunfestのぷよ大会に招待され優勝した話と、それを通して見えてきた『観客』の本質

りべです。

 

近況報告が抜け気味だったので、とりあえずフランスについてを羅列します。

 

・フランスのStunfestは凄かった 

 

はじめてヨーロッパ行きました。観光に1ミリも興味がない僕ですらモンサンミッシェルは神だと思いましたし、ガレットより何よりTAKOS KINGが美味いので行く方は是非抑えておいてください。

相変わらず英語はさっぱりできないので、aruをアドバイザー(というより完全にマネージャー)として同伴していただきました。マジありがとう。渡航費自腹にもかかわらず一緒に行ってくれる人がいるのは、僕かなりバグってるレベルで果報者です。

 

どうやら、フランスはなかなか英語話者でも苦戦する地だったらしくaruも四苦八苦してました。英語、フランス語、日本語が駆け回る意味不明晩餐会はリスニングだけで神経を疲弊させていた模様。大陸の言語文化はすげーよ。島国には理解できん。

もちろん僕は英語だろうがフランス語だろうが何聞かれてもわかんないんで大体ボンジュールかメルシーかeスポーツ!って言ってました。完全に頭が悪い。全くなんとかなってないけど、みんな優しいんでなんとかなる。

 

そもそも僕がなんでStunfestに招待されたかなんですけど、大体この記事に書いてあるdiscord立ち上げの影響でした。何でもやってみるもんやなあ。


この『ゲーミング縁』があったおかげでHikuさんが直接僕に相談してきた感じです。PuyoGBの面子が方々に対して相当活発に働きかけてくれていたようで、それにSEGA Europeサイドもノリノリだったおかげで今回の大会に繋がったと。

というかStunfestにSEGA Europeの方が普通に来てると思ってなかったので驚きでした。日本ではSEGA主催のイベントが行われてない限り、ぷよぷよのコミュニティイベントにおいて関係者の方をまず見かけたことがないので。あ、でもEVO2018と早大マスターズには来てましたね。

 

で、実際大会はどうだったかっていうと、まあこちらを見てください。

 


 

 

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これを見て(ベスト4以降、かなりちゃんとした舞台できっちり演出してやってる!すげえ!)と思われたなら何よりなんですが、本当にすごいのはステージ側よりも、

 

 

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観客側なんですよ。

 

日本でこの規模の観客がいるぷよぷよ大会は見たことがないです。ざっと見て500人くらいいそう。TGS大会でも多分瞬間で見てた観客数は半分くらいなんじゃないかな。

これこそが複合ゲーム大会の大ステージでやる強みですし、Stunfestという文化を長年育ててきた方々への感謝というほかないです。フランス、地下鉄の構内モニターでStunfestの宣伝がなされてるんですよ。公共交通機関に入り込むレベルのイベント。そりゃ当然こんだけの人が来るわけです。なおかつ、あまりよく知らないタイトルでも見てくれる。

 

そして何より最高だったのが、とにかく彼らは「声」を出してくれること。声援を、空気を作ってくれる。すげえ。今まで参加してきたぷよぷよ大会とは全然違う。一試合取るごとに会場が揺れる。これもうスポーツじゃん。得も言われぬ一体感がそこには存在した。

決勝は日本の僕対フランスのDoremy。これがまた本当に素晴らしくて、本数的には僕のワンサイドゲームにも近くなってしまったんですけど、Doremyが1本取るごとに僕が勝つときとは比べ物にならないくらいの大声援が巻き起こるんですよ。彼は『国』を懸けて戦い、観衆は皆でそれをバックアップしている。

 

鳥肌が立った。

その熱気を向けてくれることが、嬉しくてしょうがなかった。

 

僕が国内大会であるぷよぷよカップの出場を蹴ってまで、優勝してようやく渡航費をペイできるほどでしかない海外大会に率先して行こうと考えたのは、有形のリターンが欲しかったからじゃない。無形の情熱を、欧州で人知れず頑張ってきた彼らに届けたかったからだ。

イベントを開催してくれてありがとう。手探りでも声をかけてくれてありがとう。日本の国内のプレイヤーの実力は海外よりも遥か高みにあるけれど、僕のプレイに触れて、発奮して必ず追いついてきてほしい。これからもコミュニティを回して、更なる競技シーンの増加に協力してほしい。それは決して一人では成し得ないから、日本の僕達もできることはしよう。

 

彼らへの感謝の気持ちを、プロプレイヤーである僕は海を渡り、実際に演武で示す。それだけのことだった。果たして、伝わってくれただろうか。

 

 

 

 

 

 

きっとDoremyには伝わったんじゃないかな~と、まあ勝手に思ってます。

どうであろうと、これからも僕は僕のすべきことをするまで。

 

EVO2018のFINALで恋焦がれた舞台に狂ってしまった僕は、今回少し夢に近づいた。

今後も周囲に狂気を振りまいていこうじゃないですか。

 

 

・本題『観客』について

さて、今回のぷよぷよカップは生放送がない上に、観客が入ることも許されませんでした。eスポーツの根本的な収益モデルの完全放棄です。一体どこを目指しているのでしょうか。

 

こう対比すると恣意的な話題誘導っぽく見えちゃうかもしれませんが、とりあえず僕の言いたいことは、よくある「海外を持ち上げて日本を貶す」みたいな勘違い西洋かぶれ行為ではないです。もともと国によって文化は違うもの。観衆の気質においても、海外のノリの良さを日本で求めてもeスポーツ畑の方面では多分まだまだ受け入れられないです。上手く形を変えて理想形を実現しなきゃいけない。

そういう意味で国体でのぷよぷよ採用は、国内産eスポーツのモデルとしてかなりいい線いっていると思うのです。まだぷよぷよの競技シーンを知らない方に対して、外堀を埋めて見ることや参加することに対する精神的な障壁を低くしていく。「ゲームって今はeスポーツになっているんだ!」っていう潮流を起こしたい。認知度を上げたい。というかもうここ1年でブームは起こってますし、流れへの乗り方は最高です。

長期戦の様相で、そこから地道にプロシーンに観客を誘導しようという肚づもりなのかな~程度に見てますし、いきなり杞憂にも近い危惧をしてるというほどではありません。

 

実際のところこれが理解できるのは、eスポーツおじさんとしての僕が存在するからです。多角的に見るとそうだよね~って納得するだけ。いきなり日本のぷよぷよオンリーイベントで現地の観客500人集まるかって言われたら集まらないですし、無理難題をパブリッシャーに押し付けたいわけでもないです。

でも選手としての僕は、EVOで超観衆のステージを見てしまったし、Stunfestで大観衆のステージでのプレイを経験しちまったので、夢を見るのは大舞台になってしまうんですよね。こっち側の視点から見ちゃうと、生放送すらないのはやべーなおいってなります。

 

さて、ちょっと話は逸れますが、最近思うのはプロ制度も1年回ったことですし、選手として個人的に目指す指針が固まってきた人がそろそろ現れてきてるんじゃないかなという点。JeSUのライセンスプロは全員がどこかに所属しているわけではないので、基本自分で自分のブランディングをしなければなりません。でも実際何をすればいいのかわからない方がほとんでしょうし、そこまで考えを巡らせている選手が多いようには思えません。

何かというと、そろそろ才覚のある選手のチームによるブランディングが必須になってくるんじゃないの?ということ。

 

で、そこで出てくるのが最近ライセンスプロ化したぷよらーの中でチーム加入一番乗りを果たした瀬田凪。彼がどうブランディングされていくのかはなかなか興味深いところです。情報収集してると、彼が入ったチーム“1'sbattledogs”がなんか記事書いてる~と思って見てみたんですね。

 


ほんほん。海外と日本の比較してる~。タイムリーじゃん。

 

日本のピラミッドぶっ壊れてるのはなるほどな~と思いました。わかるかも。観客がやっぱまだまだ少ないし、大会運営組織はマジで足りない。

でも、プレイヤーを増やせば観客も増えるという結び付けはちょっと短絡的な感じ。プレイヤーでもプレイしかしない層は存在するし、ゲームをしないけどゲームを見る層も存在する。例えばぷよぷよのプレイヤーをどの深度に定義するかは知らないですけど、ゲームの認知度やプレイ経験があるかで言うと国内タイトル全体で見ても相当上位に食い込みそうです。でも日本で爆発的に観客を集められる状態かと言われたらそうではない。

というか、スポーツに例えると秒でわかると思うんですよ。フィギュアスケートとかスキージャンプとか、大概の人はやったことないけど普通に見るじゃないすか。なので、観客を増やすための施策は確かにタイトルに対する理解度や認知度に依存する部分も当然ありますが、本質は別の部分にあると思っているのです。

 

その鍵となるのが僕は「人」だと思っているので、自身は色んな方と関わりを持ってみたり、プレイヤー達の魅力を記事で発信したり、選手にブランディングが必要になるよと念を押してみたりしているのです。

 

やべ、何が言いたいんだっけ。まあ選手サイドはいろんなゲーミングチームのことよく調べとくといいですよ。それぞれのチームの発信してる内容とか見て、自分と合うかどうかとかね!おもしろいよ!

 

 

それじゃあまた。