りべです。
こんだけぷよやってても、ぷよだけで食って行く気は正直ありません。ぷよだけで食える世の中になったとしても、あるいはそれが世間的に認められるようになったとしても、その世界を目指すつもりはありません。
良い。
抜け駆け非常口はゲーマーのリアルを如実に映し出しててすごく好きなんすよ。でも、リアルすぎるがゆえにあまり陽に当てたくない。それは僕がゲーマーの実情を周囲に知られたくないとかではなく、一ゲーマーである彼の意志を尊重したいと思っているから。不必要に衆目に晒してしまうことは、彼の本音を呟く場所を奪ってしまう可能性がある。
だからまあ今回の記事は、そっと皆さんの心の中にしまっておいてくれればいいかなというつもりで書いてます。
で、何が良いかって、こいつがそこらへんのポッと出のクソガキでちょっとぷよぷよが上手かった程度でこういう生意気な口をきいてるわけじゃないってことを僕は知ってるからなんですよね。
画像:ACぷよ通レーティング対戦回数順リスト 抜け駆け非常口筆者のsymさんは1位
ACぷよぷよ通のレーティング戦を僕以上にやってきていて、一つのゲームを頑なに続ける意志があって、SEASON1のアマチュア→プロ選抜戦の16人にも残るほど、ぷよぷよ狂いである彼なわけです。それでいて、彼の美学は「趣味を貫く」ことであると。その選択は、尊ぶべきものだと僕は思うわけです。
当然、僕も現状ではぷよぷよで食っていける気はしていないです。食っていける気がしていないからこそ、ぷよぷよを競技として努力している若者の可能性を奪ってしまっていると認識してます。かといってぷよぷよのみで食って行けるようにするためには、まず競技シーンを増やすところからスタートしなければいけないし、そのために僕自身は結局ぷよぷよ以外のことを死ぬ気で学んでいかないといけない。大きな矛盾です。
そして『若者に可能性を与えたい』っていう気持ちは単なる僕のエゴでしかなくて、仮に僕がその「ぷよぷよで食える世界の樹立」という目標を達成したとしても、彼はぷよぷよで食べる道を選ばないことでしょう。
それが、ものすごく、良い。
ぶっちゃけたところ、安易なプロ賛美というか、「ゲームが強いやつはすごい!」みたいな脳死での賛辞、僕はあんまり好きじゃないんですよ。現実を少し歪めてしまっている。リアルな話、ゲームが強いだけで何にも活かせていない人間なんてたくさんいます。折角ゲームが強いのに、自分のやっているゲームをボロクソに批難する人間すらいます。自分の突出した能力を相応の価値に転換できる人間がすごいのであって、才能だけを褒めることに対しては僕は異議を唱えたいと常日頃から思っています。
ステータスのみの人間を持ち上げればハリボテが出来上がるし、内容のみの人間を持ち上げれば天狗になる。実績ってのはその2つの証左であり、それを前提としたうえで当人の「なぜその物事に傾倒するか?」は外部による起因ではなく自分の意志を軸にさせないといけない
— live/りべ@4/13-14高知ぷよ (@livedesu) April 3, 2019
自分の意志。
彼の「ぷよぷよが大好きで、死ぬほどやってきたけれど、自分はそれで生計を立てる道を選ばないし、別の道を選ぶ人間も応援する」というスタンスには、確固とした意志が宿っているように見えます。
見せかけのステータスや偶然持っていただけの才能じゃなく、僕はこの自らの頭で考えぬいた意志が強い人間を何よりもリスペクトしている。
そんな意志が根底にあるからこそ、彼がぷよぷよを生業として選ばないにしても、生きてるうちにどこかしらで交錯するシーンはあると思ってます。
「ぷよぷよ+何かのスキル」を志す僕のように、
「何かのスキル+ぷよぷよ」を彼が捨てることはないと思うからです。
例えば出来すぎな話をすれば、正規の“労”の道筋を辿って行ったら、いつの間にか大きな決裁権を持つ位置に来て、昔やっていた興味のあるゲームに協力するのも大いにアリだな、みたいな感じで競技シーンにスポンサーがつくとか。そういうね。
分岐した道の先で会うことも多々あるのがぷよぷよという長年続いてきたタイトルの強いところですし、最高に面白いところです。10年ぶりの再会とか、意外な面での繋がりとか、そこら中に落ちてますからね。
自分の道を真っ直ぐ進むことが、一番の近道であると。
いや~再三なんですけど抜け駆け非常口ね、文がたおやかで、でも時には厭味ったらしくてすごく好みなんすよ。やはり日本最高学府出身はちげえなと思わされる教養ぶりですよ。まったくね。お前ら、ファンボになるなら、こっそりやぞ。
僕も“学”を得て“労”に活かしたいものです。
それじゃあまた。