りべです。
なぞべーむさんに僕のインタビュー記事を書いていただきました。ありがとうございます。
要約すると、
・大抵のことはJeSUというよりセガとやり取りしてるんで僕らもJeSUのことはよくわかんないよ
・少なくともセガの大会運営担当チームは僕らに対して現状めちゃくちゃよくしていただいてるよ、いつもありがとう
・それでも全体をみると足りないなと思う部分がまだまだあるし、明確に伝えないといけないと思ってるよ
みたいな感じ。
なぞべさんからすると、「トップダウンでちぐはぐなことあんまするなよ~」って伝えたそうな意志を感じるのですが、
純粋なプレイヤーからすれば正直始まりがトップダウンでもハングアップでもシャットダウンでもなんでもいいんですよね。
彼が書いているのはビジネス層向けなのでこればっかりは仕方がない。いや本当は関心を寄せるべきなんですが、ゲーマー達全然こういうのに興味ないので。
「オタクは文を読まない」。ちょもすさんの至言です。
対して僕が書くのはどっちかというとユーザー層向けの記事であって、基本はプレイヤーやコミュニティを知ってくれ~って感じです。
とにかく現状の課題として伝えたいことは、コミュニティとメーカー間でそれぞれの視点からの考え方の擦り合わせがまだまだ必要だなというあたりでしょうか。
僕がインタビューで様々なことを思うに至った背景も掘り下げ不足かなと思うので、一つ実例を追いながら解きほぐしていきたいと思います。
あくまで僕が見てきた一事例なので、親コミュニティなタイプの企業とかはこういうところから必要なエッセンスを吸い上げていってください。
そう。そこは雪国。僕が生まれ育った街、札幌。
歴史は13年程前に遡る――
目次(6412文字)
一度滅んでいた王朝があった
当時高校生であった堀部少年。
ネットぷよに心を鷲掴みにされていた少年は、ミスケンのぷよステーションを始めとして、ぷよぷよの攻略情報集めに躍起になっていました。
そんな中、彼はDPA(道産子のぷよを熱くする会)というWebサイトを見つけ、自宅から徒歩圏内で行ける場所で対戦会をやっていることを知ります。
しかも日付を見ると、なんとすぐ近日に対戦会があるじゃないですか。これは神の導きでしかない。
当時陰キャ根暗オタクだった少年は、実際のところ何をするにも消極的でした。
でもその日は違った。「ぷよぷよオタクって、自分以外にもいたんだ!」という心からの喜びが、彼の重い足を衝き動かしたのです。
とても晴れやかな気持ちで、期待と不安を抱えながら一人で現地に向かいました。
(ようやく、誰かとぷよぷよの話ができる。)
でもそこには、誰もいませんでした。
茫然自失のまま家に帰ってきた少年は、きっと何かの間違いだろうと信じ込み、もう一度DPAのサイトを見返してみました。
場所は間違いありません。日付も正しい。ただ、よくよく見ると曜日が違っています。
「は?」
彼は思わず口に出しました。
それはちょうど1年前の対戦会でした。
ミスケンが引退したのが2004年。2000年代の後期は、まさしくぷよぷよにとって氷河期と呼べる時代でした。
かつての全国大会の栄華も今や昔、コンパイルの倒産と共に古めかしくなったゲームをやりこむ人間は如実に減っていきます。
DPAの存在も、1年前に力尽き空中分解してしまったのでしょう。その不幸な巡り合わせは、少年をいたずらに傷つけただけでした。
少年がそこで見つけたのは、ただの亡霊。幻でした。
けれどもそこで幻を見た彼の経験も、絶望した感情も、滅びた王朝も、決して無駄ではなかったのです。
桃園の誓い
ネットぷよに地域の境界線は関係ありませんでした。
数年後、たとえ近くに強敵が居なくとも少年は一廉の強者となり、青年となって上京し、わずか1年でACぷよ通全国6位という結果を出しました。
調子に乗った青年は不相応な全能感に浸っていました。
そんな折、2009年12月29日。札幌に帰省のため凱旋を果たした彼は、一つの妙案を思いつきます。
(もう北海道にぷよぷよ対戦会はなくなってしまったけれど、有名になった今の俺ならきっと誰か興味を持つんじゃないか?)
ガラケーでポチポチと、最近使い始めたTwitterとかいう最新SNSに書き込みをします。
「誰か札幌のゲーセンでぷよぷよするやついない?」
無茶です。年末に突然招集をかけたところで、大抵の人間はそうそう暇じゃありません。
彼がTLで見た反応も、「もう少し早く知っていれば行けたかもしれない~」という内容が大半でした。
指定した場所は、ディノスパークノルベサ。
そこで一人待っていた青年は、いや僕は、さながら関羽でした。
義のもとに動き、義士を募る。かつて潰えてしまった北海道ぷよぷよ対戦会という王朝の夢に、希望の光を灯したい。
だからそこには、本当に年末だというのに暇でどうしようもない、熱意溢れる2人の男が呼応して現れたのです。
一人は、まだ高校生だった少年。後に実力で僕を超えることとなる張飛。彼の名はようかん。
一人は、僕と同い年の青年。後に10年の地盤を築きあげることとなる劉備。彼の名はこと。
ささやかな、たった3人の対戦会がそこにはありました。
8方向レバーで操作もまともにできない、正直ひどい環境の対戦会でした。
その日は終わったら山桜桃でラーメンを食って、ひとしきり満足して解散して。
僕にとっては、当時その日が特別な日だったとか、そんな自覚はほぼありませんでした。
でも、今になって思い返すんです。
その日の彼らは、高校生の頃の僕が最高にワクワクしながらDPAの対戦会に向かったあの日と同じ気持ちだったんだなと。
だから、かつてのDPAとは違って幻ではなく、その場にヤバいぷよぷよオタクである僕が確かに実在したことは彼らにとってものすごく衝撃的だった。
「ぷよぷよが大好きなやつがいても、別に何もおかしくない」という種火の気持ちを、僕が関東から運んできたんだろうなと理解しました。
結局、僕が運んだ種火は一体どこから受け継いだのか。
それはぷよぷよコミュニティ全体が氷河期から再繁期へと変化を遂げた、ALFさん企画の『七島第一部』でした。
あの企画のおかげでネットぷよらー同士が顔を合わせることになり、種火が移り、2010年頃から各地の対戦会やサークル乱立の時期が訪れます。
でもそれは、また別の話。
とにかく、コミュニティに壮大なスタートアップなんてものはありませんでした。
彼らは僕がただ持ってきただけの種火を自力で少しづつ大きくした。
ようかんは数年の後にmomokenに匹敵するほどの神域のプレイヤーに成長したし、
ことはGAME41からすすきのスガイディノスに移るまで、たとえ人が居なくなりそうでも10年間ずっと北海道対戦会を運営し続けた。
これは、そんな桃園の始まりのお話。
本当にすごい存在とは何か
文字数稼ぎたいしネタになんねえかな~っていう軽い気持ちで、ことに質問を3つほど投げてみました。
適当に脚色して盛ろうかなとも思ってたんですが、そもそもこいつ普段ふざけてるけど根がめっちゃ真面目だったのを忘れていた。ものすごい長文が返ってきました。
本人の人柄含め知ってもらいたいので原文ままで掲載します。文量多いけど許して。
Q.北海道ぷよ対戦会を作ろうと思ったきっかけは?
こと 事のきっかけはりべの帰省に合わせた対戦会が発端。
当時は聖地セブンアイランドを含め、ACの対戦会が道外には様々にあることへの憧れや、誰かとわいわいぷよぷよをするのが想像以上に楽しいことを知って、北海道でも「対戦会」という存在を長期的に運用してみたいと強く思ったことが気持ちのきっかけになっている。
Q.長年運営してて困ったことはあったか
こと 長年運用していくとどうしても発生する「人の入れ替わり」のサイクルがあることで、一度困った時期があった。
対戦会は発足から現在まで、毎回10人程度の人たちが集まってくれているが、以前あった「新しい人の参入が薄い」時期には対戦会が毎回5人前後しか集まらない時期が続き、対戦会の継続を深く考えたこともあった。
あまり北海道対戦会の存在そのものを宣伝できていなかったこともあり、その際の対応策としてはTwitterでの宣伝や、宣伝に伴うイラストの協力(おかき君ありがとう)、大会(景品あり(自腹))を何度も開くことで新しいぷよらーの宣伝・発掘を行い、現在はまた10人前後の人たちが集まってくれるようになった。
こういう話をすると、結果としては自分の努力や功績のように聞こえてしまうかもしれないが、対戦会に来てくれる人がいてこその「対戦会」なので、毎回来てくれている一人ひとりが本当にありがたいことと参加するたびにひしひしと感じている。
その他に困ったことがあったこととすれば、当初対戦会としてご協力いただいていたゲームセンター「GAME41」様が閉店となってしまい、対戦会の存続が行えなくなってしまった時期があった。
その後、あらためて対戦会を継続するために「ぷよぷよ通」が置いてあるゲームセンターを探し、すすきのにある「スガイディノス」様との出会いがあり幾度の交渉のうえ、多大なご厚意のうえで「GAME41」と同様の「終日フリープレイ500円」で運営を引き続き行えるようになった。
お店・店員の皆さんは「ぷよぷよ」への理解も厚く、お店側で対戦会の宣伝や筐体に貼るPOPを作ってくれるなど、日々大変協力的にいただいており、私は毎日泣きながら感謝している。(すごい)
Q.地域のぷよぷよコミュニティを今後どうしていきたいか
こと 北海道で長く活動しているとちょっと見えてくる”人の傾向”みたいなものがあって、これは別に北海道に限った話じゃでもないんだけど、高校生や大学生の就職活動時期には本州に就職してしまう人も多く、その後になかなか会うことが難しくなってしまうことが本当に多い。
でも、りべやようかんが年末に帰省してくれること、りべようかんだけじゃなく昔北海道でぷよぷよをしていた他の人たちだって毎年何人も帰省のタイミングでこの対戦会にわざわざ顔を見せてきてくれてたりしていて、正直あまり表に出してないつもりだけどそういうところはものすごく嬉しく思っている。
地方だから、どうしても人が離れていく機会は多くなってしまうから、そんな場所だからこそ「帰ってこられる家」みたいな存在になれるように、色んな人がどんどん離れていってしまってもこの地方のコミュニティが存続できるように、いつかまた皆で一緒に笑えるように、そんな場所を作りたい頑張っていきたいと思っている。
そして今いる人・これから新しく来る人にはそんな風に思ってもらえるような、いつでも帰ってこられるような「温かい場所」と思ってもらえる場所になれればいいなと思っている。
「北海道ぷよ対戦会」は今年の12月29日で多分ぴったり10周年になるんだけど、この10年間で色んな人を見てきた限り思うのは、北海道のぷよらーって割りと温厚…というか優しい人たちがものすごく多いイメージを持っていて、対戦会に来てくれる人たちの温かさを見ていると、正直俺が対戦会からいなくなってしまったとしてもずっと俺が帰ってくる家になってくれるような、そんな場所だなっていつも感じさせてくれる。
「コミュニティの存続」って誰か一人がものすごく頑張るんじゃなくて、きっと温かくて優しい人たちが多い場所は長く続くんだろうなって勝手に思ってるので、これからも皆と対戦会を楽しんでいければそれが北海道ぷよの一番の幸せだと思います。
そんな場所にあなたも来てみませんか?「昔、一度だけいったなぁ~」「行ったことないけど行ってみようかな…?」「最近行ってないな~」という方たち!
ぜひ北海道ぷよへお越しください!
みたいな感じで宣伝も宜しくお願いいたします
あのさあ。
これが北海道の劉備玄徳だよ。
もう蒼天航路でも読んでるかのような心地だぞ?
俺はこういうやつがいるのを知ってるから、ゲームが強いやつだけに金が回るのが納得いかないんですよ。どうしても還元したくなってしまう。
ちょっと強いゲーマーが偶然持て囃されるようになったきっかけ、本当に本当の素地を築いてくれたのは彼らの力だった。
10年間続けてきて「自分の功績ではない」と言えるその心こそが、人を集めてきた。誰がどーーー考えても、ずっと核になってくれたお前の功績だろうに。
ことを始めとして、僕の同世代は特にそういう縁の下の力持ちと言える存在に恵まれていました。
仙台のかぐぅもそう。
広島のぢおもそう。
名古屋のいささかや428もそう。
当然同世代に限らず、大阪だって石川だって新潟だって福岡だってコミュニティを支えてきた人間全部そう。
「面白いから」だけを原動力に何の見返りもなく、ゲーマーが存在していい居場所を作り続けてきてくれた。
だから仮に還元しようとしても、そもそもが別に金のためじゃないからって言って固辞されたりもするんですよ。
ぷよぷよの面白さが伝わってくれればそれでいいよって。
そして、それらの居場所がなかったら列強争覇戦という企画は最初から成り立っていなかった。
すなわち俺は、覇王になっていなかった。
ありがとうしかねえだろ。そんなもん。
たまたまそうなったとはいえ、コミュニティに押し上げてもらった俺は、やっぱりコミュニティにこそ恩返しをしないといけない。
そんな背景のもとに自分の文章やコンテンツが、身に余るほどの影響力を持ち始めているからこそ、今知ってもらいたかった。
「こいつらはマジですげえんだぞ!」ってことを周りに教えてやりたかった。
それだけです。
12/27に予定している発表も、原点としてる気持ちというか、おそらくベースは似たような感じです。
是非よろしくお願いします。
桃園再び
奇しくも。
2009年12月29日に回り始めた歯車は。
2018年12月29日というちょうど10周年をもってして。
桃園結義を再び執り行うこととなりました。
興味のある方はぜひお越しください。
【りべ・ようかん帰省年末会】
— こと (@Koto_rbmt) December 12, 2018
今年もあの「りべ」と「ようかん」が年末に北海道へ帰省するため、ぷよ通対戦会や飲み会の企画を行いました!
日時:12月29日(土)
場所:すすきの(時間により札幌駅)
詳細はTwiPlaに記載しているので、参加を検討される方はご確認ください!https://t.co/wuJaiCJu7e
全部この宣伝の前振りです。
コミュニティが誕生するかどうかは、まずいいゲームありき
ボトムアップが起こるかどうかは運じゃないです。
まずは面白いと思えるゲームがあって、それにファンがついてこそコミュニティの種が生まれる。
そこに10年前各地で種が芽生えた理由は、認知度のあったトップ層のイベントと、インターネット対戦の急速な発達という二大契機だった。
いの一番に来るのは大会や賞金やプロシーンではない。誰もが楽しいと感じる圧倒的な完成度のゲームそのものです。
これらが揃っていなかった中でも細々とコミュニティが生き長らえたのは、ぷよぷよというゲームそのものが凄まじく面白かったからです。
更なる人口拡大を目指すにはまた一つ契機が必要なんです。『万人が楽しめるよう徹底的に考え込まれた新作』という契機が。
新規層、復帰層、様々な人が興味を持ち、プロシーンにも箔がつく。そのために必要な一歩です。
そういうところを含めて、セガにはぷよぷよを今後どうしていきたいのかビジョンを見せてほしいと僕はインタビューで伝えました。
きっと答えを見せてくれるのを待っています。
ではまた。