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「ぷよぷよの強さを取ったら、一体何が残る?」10年前の僕と今の僕。〜2019年振り返り

『自分からぷよぷよの強さを取ったら、一体何が残るだろう?』

 

 

伏し目がちに、自嘲気味に発された、その言葉。

10年前の夏、ぷよぷよ合宿をしていたときの僕の言葉だ。

 

強さこそが存在意義だったあの頃。

ゲーム依存という有り体な名で形容されるべくもない、ゲームこそが自分であったあの頃。

生き甲斐をゲームにしか見出すことのできない屑の枝葉末節だった頃。

 

 

何の因果か、10年後の僕はプロゲーマーをやっていた。

人間の根底なんざそう変わりはしない。

ならば、僕はこの10年で一体何が変わったのだろうか?

 

 

 

『自分からぷよぷよの強さを取ったら、一体何が残るだろう?』

10年前のこの一節の背景には、全一級のプレイヤーに及ばない自分の無力さが隠れていた。

 

代わりの利く強さ。

ぷよぷよが強い人間を必要としたとき、それは別に僕じゃなくてもいいという実感。

上京して一年ほどで、自分の限界を自ら設定してしまったがゆえに、陥った存在意義の喪失。

 

だからその時僕は、一度ぷよぷよを離れた。

自分の存在意義を探すためにコミュニティから疎遠になろうとした。

今思えば馬鹿げた話だが、「及ばない辛さ」を嫌というほど味わっていたことが、昨今の若手に対する理解に繋がっているような気がする。

 

 

『自分からぷよぷよの強さを取ったら、一体何が残るだろう?』

数年経ったころ、別のゲームで一定のステータスを得た僕は、精神的な拠り所が増えていた。

自分より強いプレイヤーを、自分の上位互換だ、などと思わないことがようやくできるようになっていた。

 

あの時ぷよぷよから離れたのは、自分より優れたものを認めたくなかったからだ。直視をしたくなかったのだ。

認めれば自分を否定してしまう。そのジレンマから解放されて僕は、再びぷよぷよの強さを求められるようになっていた。

 

 

『自分からぷよぷよの強さを取ったら、一体何が残るだろう?』

ぷよぷよの強さは、いつしか職能になっていった。それに従って僕は、スキルを活かしたロビー活動をするようになっていった。

 

僕の強さは、最強クラスの一歩手前。今もなお進化して進化して、その強さを保ち続けている。時勢から取り残されていないことは、我ながら評価に値すると思っている。

その強さをもってして、他の強豪プレイヤーがやらないことをすれば、絶大な価値になるんじゃないか?

 

 

はじめは記事を書いた。

他界隈の人間と広く交流してみた。

ぷよぷよの大会に出るため海外に行ってみた。

そしたら本を書かないか、と誘われて書いた。

新しいぷよぷよの対戦会を開いてみた。

仕事を変えて、eスポーツに関する職に就いた。

同時にプロゲーマーとしてのマネジメント契約も結んだ。

人前でぷよぷよの魅力を伝えるプレゼンもした。

来年にはEVOJapanで大会も開く。

 

 

『自分からぷよぷよの強さを取ったら、一体何が残るだろう?』

ぷよぷよの強さをもとにひたすら動いていたら、いつの間にか僕には多大で多彩な経験が残されていた。

結局、「ゲームこそが自分」であった僕を否定する必要は一切なかった。やり方を知らなかっただけ、自分を信じていなかっただけだった。

 

 

 

2019年。今年一番記憶に残っているのは、11月。ある飲み会でのぴぽにあの言葉だ。

 

『りべさんはもっと選手として頑張ってほしい。もっと上を目指せるはず。自分に諦めないでほしい。』

 

これはまた酷なことを言われたな、と思った。俺は10年前に一度自分の実力を諦めているのに。その前提で自らの活きる道、存在意義の模索を常にテーマとして生きてきたのに。

 

強くなるための気持ちがないわけじゃない。ただ、コミュニティが既に形成され、ある種の社会として回ってきたぷよぷよ界隈。最強、全一という立ち位置に今更俺が入るのは、もう違和感があると思っていた。収まりのいい役割分担を考えるようになっていたのだ。

頑強に、奴の主張を跳ね除ける気持ちが働いた。恐らくは防衛本能なのだろう。人は積み重ねてきたものを崩されたくないのだ。

 

二時間ほどの禅問答が続く。話していてわかったのは、奴の主張にロジックなんて微塵もないこと。ただピュアな感性だけで、俺の中にある諦めを嗅ぎとって、後先なんて知らずに提言したのだ。「そう感じたから」の一点張りで。

 

(ああ、本当にこいつには、敵わねえなあ)

 

奴の話を聞いていると、上京してきたばかりで、可能性に満ち溢れていた頃の自分を思い出してしまう。

 

ぴぽにあがとにかくこう言える人間であってほしかったのは、間違いなく俺だ。一度ぷよぷよコミュニティ崩壊の危機に瀕した2016年において、後進に希望を失ってほしくないと感じて奮闘した、俺自身の答えだ。

ぷよぷよが強いことに意味などないと、後進たちに諦めてほしくなかった。俺の託した灯火そのものだ。

 

 

でも……

 

 

本当の本当に正直な気持ちを述べるならば、

 

 

『自分からぷよぷよの強さを取ったら、一体何が残るだろう?』

きっとぴぽにあの言葉は、俺がこう感じた10年前に一番欲しかった言葉だった。俺は誰かに、俺を信じてほしかったのだ。

 

『りべさんはもっと選手として頑張ってほしい。もっと上を目指せるはず。自分に諦めないでほしい。』

実力不相応に、ステータスの保持のみに躍起になって自分を強く見せようとしていたあの頃の俺に、そんな言葉をかけてくれる人間はいなかった。

だから、あの時はコミュニティから距離を置くしかなかったのだ。

 

 

大きく大きく回り道をして。

僕は今、ここに立っている。

支えてくれるファンも増えた。

信じてほしいなんて欲求は、とうに満たされたろう?

 

 

 

 『自分からぷよぷよの強さを取ったら、一体何が残るだろう?』

 

うるせえんだよ!!10年前の俺!!

 

お前はぷよぷよが強いだけのただの屑だ。今も昔も変わっちゃいねえ。

お前が積み重ねてきたものは全て、ぷよぷよの強さから派生して得たものだ。

ぷよぷよが強くなかったら、今の俺は存在しねえんだよ。何も残らねえ。理解しろ。慰めてもらおうとしてるんじゃねえ。

 

 

だからもう、勘違いしたって、また自己暗示をかけたっていいじゃねえか。

10年前のあの頃、お前は瞬間的な全国5位をやたらと誇ったよな?今はどうやら世界5位だってよ。2019年になっても何も変わっちゃいねえ。笑えるな。

 

でもお前は、10年経ってなお、その実力を衰えさせなかった。

そんなに執着している強さを、今更捨てることなんかできると思っているのか?誰がどう見たって、強さはもうお前の一部だよ。

 

 

だからさ、今の俺がお前を信じるよ。

色んな実績を積んできた俺が保証するよ。

10年前に閉ざした心の錠前を解いて、また二人で最強を探しに行こう。

 

自分の力に気付くのが楽しかったあの頃を、もう一度思い出そう。

 

 

 

最高だなあ、ぷよぷよ。

2019年になっても、30歳になってもまだ学べる。

突き詰めれば何からだろうと、一生学ぶことは尽きないのだ。

 

 

さて。

2020年は、一体どんな世界が待っているかな。

 

 

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eスポーツの会社で働くということ 選手編

りべです。

 

note.com

 

にわかにぷよらーの間でも反応が多かったこの記事。定期的に高尾のぽれニキが懇切丁寧にeスポーツを仕事にすることに関して言語化してくれてるので、他のnoteも要チェックです。

体感、普通に書いた記事よりもネガティブって題字につけるだけで周囲の反応が増えてるように思えるので、人間というのは深層心理的にネガティブな要素を追ってしまう生き物なんですねえ。もう全部の記事にネガティブ編ってつけるか。

 

 

僕は僕とて9月から選手兼雇用契約としてRED ONEでeスポーツ周りのお仕事をする身になっているわけなのですが、今まで不透明だった道が開けたように思っている人が徐々に増えているせいなのか「eスポーツに関わる仕事がしたい!」という相談を界隈内からも多少受けるようになってきました。

大体僕のアドバイスは「強い一芸があるといいよ」とか「最低限自分がやりたいことを確立しといたほうがいいよ」とかなんですけど、もうちょっと具体性を持たせて追っていくと皆さんの参考になるのかなと思いまして。

 

 

今回のぽれさんの記事に沿って(実際どうなの?)みたいなことを書いていきます。
まだ3ヵ月ですし僕自身本当に大したことはしてないので、話半分に読んでいってもらえればと。

 

目次(3978字)

  • その1. 大会は土日に開催。あとはわかるな?
  • その2. 大会を運営する会社の関係者は選手として参加できない(しにくい)
  • その3. 好きなゲームばかりやれるとは限らない
  • その4. いつまで続くのかは謎
  • その他. ゲームにわか、実は超優秀説
  • まとめ. いうてゲーマーばかりの職場、楽しい

 

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ゆるふわ

 

朝4時半に新宿のスーパー銭湯でこれを書いております。

大体こういう書き始めのときはエモーショナルな気分のときなのですが、例に漏れずといった感じでしょうか。おはようございます。

 

 

本日は、どうにも自分の言葉の軽さ、引きの弱さみたいなものを実感してしまったなあという一日でした。

 

これだけ書くとゆるふわのプレゼンが上手くいかなかったのかな〜、みたいな心象を与えそうです。正直それも内心あるにはあるのですが、んなことは単なる一要因でしかなくて。

僕個人的にはああいった場そのものが、話術、言語化能力、人間としての魅力そのものを問われる場所だと思っているんですね。

この際そんなコンセプトを内々に持つことがゆるふわらしいかという是非は抜きにして、人間として評価される側面はあると思っているのです。

 

経験、知名度、みたいな部分で敵わないというのはまあ理解できます。むしろその場に並び立つチャンスがもらえる時点で、以前の僕からすれば信じられないような僥倖です。

でも、だからこそ、今まで雲の上のようだった存在の方々と、自分を比較しなければならないフェーズに立ったのだなということを、今回むざむざと感じさせられて。

 

界隈内で独自のポジションを築き、多少なりとお声がけいただけるようになってきた身ではあるものの、じゃあ同じように各コミュニティからふるいにかけられて残った人間達の中で、僕は一体何を魅力として戦えばいいのか?

それがぱっと思いつかないことがなんだか無性に悔しくなってしまいました。

 

「何でも屋」のジレンマなのでしょうか。

 

 

やはりですね、プレゼンに限らず、殿上人達と複数人で話しているとわかるんですよ。自分よりも誰に興味が向いているか。誰の話を聞いてみたいか。

これは、どうやら僕には向けられてはいないなということは察知できます。そんなことは別にいいのです。「この面々ならば、自分よりも誰かに興味が向くのは当然だ」と自分が納得してしまうのがすごく嫌だったのです。

 

 

なんなんでしょうね。ゲーマー特有の負けず嫌いの性分なのでしょうか。それとも僕が今、自分の存在価値だと思い拠り所にしている部分を、自ら塗り潰してしまうかのような生理的嫌悪感からなのでしょうか。

技術なのか、知名度なのか、実績なのか。より他に先んずる何かをもってして、自衛しなければならないなと切に思うわけです。もはや、コミュニティ内だけがライバルではない。

 

 

だから、今一度再確認しなければならないと。

 

僕が結果として目指すべき場所は一体どこなのか?

ロードマップは一体どこに敷かれているものなのか?

 

 

というのを考えたとき、僕のやっていることはまるで定量化できないことだなと気付きました。

熱意を伝えるだとか、後進を育てるだとか、競技を普及するだとか、界隈に貢献するだとか。

 

目標があまりにも曖昧すぎるし、結果が目に見えなさすぎるのです。

まるで数値化できないからこそ、評判というぼやかされた評価軸で各方面から取り立てていただいて本当にありがたい限りなのですが、本当はもっと自分にシビアに生きる必要があるのかもしれません。

 

曖昧にして、怠けていては、成長はなく。

内と外に繋げるパスとしての存在から、外と並び立ち協業できる存在に変化しなければ、

 

 

 

この劣等感が収まることはない。