『短距離をずっと走り続ける者は、長距離走者と言えるのだろうか?』
大晦日、ふと浮かんだフレーズを文字に繋ぎとめていく。
断片的な思考の欠片が、自分の中に散らばっている。
かき集めて、並べて、伝えたいことがないかと探したがっている。
とっくのとうに、空虚な競技者に成り下がったと思っていたのに。
練習、大会、リーグ戦、発信活動……
みな、何を思って走っているだろう。
もうこの年代だ。走ることをやめたものも多く見てきた。
「今年は連戦の年だった」
ヨダソウマが漏らした言葉に、ゆるく付和する。
ガチ連戦マッチアップ、グランプリ予選、深淵リーグ、おいうリーグ…
短いスパンに、多くの連戦予定が詰め込まれ、調整を繰り返した。
何年、本気でのぷよぷよを続けているのだろう。
そこに大会があるから。
そこに連戦があるから。
俺はいつしか、短距離をあてもなく走り続けるスプリンターとなっていた。
定めたゴールなど、どこにもないのに。
競技者の夢と自認は乖離する。
誰しも、目標に向かうために遠大な計画を立てる。
そんな理想像は、大抵現実の前に音を立てて瓦解する。
だから遠すぎる目標を捨てて、すぐ足元を探し始める。
自分が『まだ競技者として生きていてもいい』と思いたいから。
全国一位になりたいなんて夢を描いていたのは、一体いつが最後だったか。
ACで全国五位だなんて息巻いて、野心にギラついていたとき?
あの頃、競技者として走る長距離のゴールは、きっとそこだと思っていた。
でも、全国一位になった者たちは、順位への固執なぞ二の次で、
競技への取り組み方からして、なるべくしてなった者たちだった。
そんな彼らの在り方を見て、俺もあやふやな順位への固執を捨てた。
見えやすい最終ゴールを、捨てた。
順位なんてものは、とっくに過程なのだ。
本気で取り組んでいる俺がそこに存在することこそが、
人間に、世界に微小な影響を与えていく。
知らないうちに、それが楽しみになっていた。
俺は有望な若手プレイヤーが大好きだ。
ほんの少しの影響を受けて大きく成長し、新たな世界を見せてくれる。
そんな彼らの姿に、俺がまた影響される。
一人で走っているわけじゃないと思えるから、まだ走れる。
影響は、良くもあり、悪くもある。
人と関わって起きた変化を全て受容して、次への糧とする。
だから俺のスタンスはずっと、『清濁のるつぼ』だった。
俺がそういう人間であれたからこそ、まだこの舞台に立てた。
チャレンジャーリーグはまさに圧巻の世界だった。
同じリーグ内なのに、違う領域での試合を構築している者がいた。
走ってきたかいがあったと思えた。
同じ時代を走れていることを誇りに思えた。
ここまで走ってきた意味があった…
そうやって心が、ほだされかけた。
違う!
トップを走る競技者が諦めているのが俺の一番嫌いな世界だ!
面白味も何もない世界に戻ろうとするな!
独りよがりで自分の世界だけに浸って終わろうとするな。
お前がここまで走ってこれたのはお前だけの成果なのか?
違うだろ。
遠いあの日に捨て去ったゴールはまだ、ここじゃない。
俺が若手に期待するように、
若手もまた、俺に期待している。
未だ見たことがない競技の世界へ到達するために
俺が、必要なのだ。
違うか。
世界にきっと俺は必要ない。
俺が、俺を、必要としているのだ。
かつて抱いた遠大な夢を踏み越えて生きてきたから。
過程を経た今に、自分に意味があったと思いたくなる。
外に意味を求めたくなる。認められたくなる。
慰められたくなる。「長いことがんばったね」って言ってほしくなる。
でも、そんなのはまやかしだ。
ただ俺自身が。
まだそうしたいから、そうしているだけなんだ。
走り、息を吸い、走り、息を吐く。
きっとまた、2025年も次のゴールへ向かって走り続ける。
別に意味なんてなくてもいい。
意地なんだと。
目先の短いトラックを。
また、ひとつずつ。