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EVO2018から8ヵ月、宮崎での僕はあの日感じた無力さに抗えたのか? ~ぷよぷよファイナルズSEASON1 レポート

 

かつて、僕は優勝したのに、諸手を振って喜べないことがあった。
それは8ヵ月前に行われた、AnimEVO2018のぷよぷよ・スワップ部門大会だ。

 

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ぷよぷよは日本国内の競技者が世界に比べて圧倒的な実力を持っているタイトルである。
海外への普及度合いもまだまだ浅く、EVOでのサイドトーナメントは国内のコミュニティ大会とさほど変わらない規模であった。
日本から遠路はるばる訪れた僕が優勝することは、コミュニティから見るとさほど大きなニュースではなかったのだ。
そして最終日にはメインタイトルの超規模を、熱気を目の当たりにしてしまった。現状のシーンの格差に、唖然とせざるを得なかった。

 

追いつかなければならない、と思わされた。でも、どうやって?
僕が仮に奮起を促したところで、人間は体験していないことをどうしてもすんなりと理解できない。
思いのままを書いた上奏文はコミュニティを「村社会」となぞらえ、ほとんど批判にも近いような文章になってしまった。
案の定、多くのプレイヤーに僕の意図は伝わっていなかったように思えた。まさしく、無力だった。

 

 

でも、その仮初の『世界王者』というタイトルを得たことと、歯に衣着せず感情を書き連ねたことは、自身の取り巻く環境を一変させた。
僕が所属するコミュニティの外側で奮闘しながら、共感してくれる人間が数多くいたのである。
彼らの助力は勇気となり、他コミュニティとの交流、出演案件の増加、本の共同執筆、サポート契約締結、対戦会発足など僕は多くの出来事に対して踏み出すことができた。

 

 

 


ただ、僕自身は歩を進めることができたが、結局一人では何もできないという事実を8月にまざまざと見せつけられていたことは、いつだろうと忘れようがなかった。
プレイヤーの夢となるべき舞台を増やすためには、一体どうすればよいのだろうか……

 

 

 

2019.4.20 宮崎県。
フェニックス・シーガイア・リゾートは非日常だった。
ネット上で「わざわざ宮崎に行ってぷよぷよ大会をする意味がわからない」という声もちらほら聞こえていたが、僕は一足先にラスベガスで知っていた。
壮大なスケールの非日常に身を投じて行われる、自らの矜持を持って挑む大会で滾る心地は、その場に参加しないとわからないということを。

 

会場を見た7人は、等しく景観に圧倒されていた。
(あの時の、僕と同じだ)
重要なのはスケールの大小ではなく、「普段の大会とは全く違う」という気持ちへの引き金が必要だということだった。
最上位での対戦、緊張感のある大会にある程度慣れてきた僕達に必要だったものは、場所の雰囲気によって十全に満たされていたように思える。

 

なんだか、その時点で僕はもう別の感情に支配されていた。
出発前に、この大一番に望むにあたって(選手として以外のことは考えない)と決めていたはずなのに、彼らの表情を見ていると、それはいとも簡単に揺らいでしまった。
緊迫した心持ちで試合に集中したかったはずなのに、僕のカメラは彼らの非日常でのはしゃぎぶりを自然と追っていた。
試合前とは思えないほどに、楽しそうに騒ぐ彼らを。

 

 

 

おそらく競技者として互いに努力し、一年間を通してようやく辿りついた舞台を共有することができたのが、本当にただ、嬉しかったのだ。
引率者と先駆者しかいなかった、一人ぼっちの競技者としてのラスベガスに比べて。

 

それにふと気付いたとき、目が曇って見えていなかった多くの事実が脳に染み込んでいった。
あまりにも先人や同期達との温度差があることに、いつの間にか心を閉ざしてしまっていたのだろうか。
人から梯子を外され批難されることに麻痺して、周囲の取り組みに鈍くなっていたのだろうか。
いつの間にか僕は、一人で勝手に孤独に苛まれていたのかもしれない。

 

 

「やっぱりさすがプロ、強かったです」


Tekkuは、第1回ぷよテトパーティーの決勝で僕に敗れ、そう呟いた。
もしや、自分もプロに匹敵できるのではないかという淡い期待と、実際に直面した大きな壁。
この1年間彼は、その壁に挑戦し続けた。最後に宮崎に辿りつけたことは、彼にとって大事な成功体験として、これからも心に残り続ける。
ちょっぴり自分を大きく見せたい、年相応の野心を持って。ただひたすらに上を目指す。自分に可能性を見出せる一番楽しい時期だ。

 

 

「なんだか、ACぷよ通はもうやる気になれんかもしれない」


瀬田凪は、数年前にネット上でそんな心中を、ぽつりと吐露していた。
実力や才能のあるものが、第一線の競技シーンから離れる。それを止められない僕は、とても歯痒く感じた。
それでも密かに彼は、ぷよぷよを続けていた。歳月が経って、以前より人当たりも穏やかになった気がする。よく笑うようになっていた。
公式の作り上げたこの舞台は、新たな彼の居場所として、魅力的に感じてくれているだろうか。

 

 

「とりあえず、自分にできる範囲内で頑張ろうかなとは思ってる」


selvaは苦労人だ。酷務に身を置きながらも、いつだって自身の辛さを表に出したりはしない。
プロ活動についても、自らの生活が脅かされない範囲での線引きをしている。過去の彼はよく稼働しすぎて身体を壊していたし、大きな進歩だ。
僕は昔、彼の本心の見えない振る舞いに苛立ち、衝突したことがあった。もしかすると彼のひたむきさを羨む気持ちもあったのかもしれない。
でももう2人とも、いい大人になってしまった。好敵手として、友人として、互いに全幅の信頼をおけるくらいには歩み寄った。

 

 

「ウメブラに誘ってくれたのは、本当にいいきっかけになったよ」


飛車ちゅうは最も旧い知り合いの一人だ。最初に彼の名前を知ってから、もう15年程経っただろうか。
かつての彼は本当に堅物で、冗談なんてあまり通じないような人間だった。どこかしら、刺々しい雰囲気を纏っていた。
それが、長い年月を経て、少しずつ柔和になっていった。ぷよぷよのコミュニティに携わったことによる変化も、少なからずあったことだろう。
イベントの主催についても元々身を引くつもりだったが、僕が誘ったウメブラを目の当たりにしてもう一度頑張ってみる気になったらしい。頼れるやつだ。

 

 

「自分が目立ちたい気持ちってのも、なくはないですけどね」


fronは、2人でラーメンを食べながら、やたらと絡んでくる僕に対して少し気怠そうに答えた。
上京当初の彼は、とにかく大人しいけれどフットワークが軽かった。楽しさが行動に表れていた。僕は勝手に、彼に過去の自分の姿を重ねた。
自分がかつてこのコミュニティにいてもいいと感じたように、彼にも肩肘張らずに過ごせる居場所を提供したかった。だから、僕は彼にたくさん話しかけた。
きっと、もともと周囲に気を遣うせいで、自己表現が苦手だったのだろう。今の彼は、自分のキャラクターを見つけてとても生き生きしている。

 

 

「みんなが戻ってきたから、また始めてみようかなって思えた」


マッキーは、高知でそう語っていた。最上級者が軒並みぷよぷよからいなくなってしまった時期、彼も同様にぷよぷよから離れていた。
僕と初めて対戦した頃、異様な不定形を実戦レベルで組んでいた彼は、最初から常軌を逸していた。これは、必ず上がってくるタイプの人間だとどこかで感じた。
しかしネット上の彼から伝わってくる印象は、吹けば飛んでしまうような脆さだった。案の定、周囲の環境の変化によって一時期姿をくらましてしまう。

 

でも、彼はそこでやめなかった。僕達が上級者同士で対戦する動きに呼応して、再びぷよぷよを続けていってくれた。
最初に会った頃よりも、本当に饒舌になった。僕よりよっぽど話しかけてくる。関西の身近なぷよらー達が、掛け値なく温かいおかげだろう。
人並み外れた才覚を感じるのに、年相応の失敗もしていたり、時折感情的な言動から人間らしい部分が垣間見えるのが、とても好きだ。
この1年での成長を見て、これでもう不意にいなくなったりはしないだろうなと、そう信じられるようになった。

 

 

「りべさんとの蕨での日々は、決して無駄じゃなかったんやなって」


deltaはプロになった直後、僕にそんなリプライを送ってきた。一番、見違えたと言っていいプレイヤーだと思う。
彼もまた、ぷよぷよを続ける意味がわからなくなっていた時期があった。例に漏れず、マッキーと近い時期の話だ。
(どうしてつらい思いをしながら、報われもしないゲームを続けなければならないのか。)deltaの問いは、極めて正着だった。

 

何故、僕はぷよぷよを続けることができているのか。一からよくよく考え直してみる。
するとふと、自分がACぷよ通を始めた頃、ALFさんとの帰り道に一方的に話かけられ続けたことや、連戦した後にカフェに行ったことを思い出した。
なんだこの記憶、と思って僕は苦笑した。実際の話の内容なんてさっぱり覚えていないけれど、時間をかけてくれたこと、特別に肩入れしてくれたことは、何故か強烈に頭に残っていた。
自分の存在を強く認めてくれたという、原体験のひとつだったのだろうと思う。だからきっと忘れられないのだ。

 

「恐らくこれは、ALFさんからもらった一種の呪いだったんだ」

と形容して、僕とdeltaは半笑いしながら一緒に飯を食べた。
この話をしたからこそ、お前にも呪いは託したからな、とふざけながら。そうやって僕は彼に時間をかけて、特別に肩入れした。
そうやって互いによくわからない納得感を得て、蕨デイトナで連戦をして帰っていく。これが僕達の2016年の、蕨での日々だった。


報われてくれて、本当に良かった。

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僕は、deltaがプロになったときの記事でこう書いている。

 

僕はぷよぷよで、ただ強いだけの人が見たいんじゃない。人が成長するのを見たいんだ。

 

 

結局、この舞台に辿りつけた者は、すべからく皆成長していた。
一人では何もできないと感じていた心境は、とっくに幻想のものだった。
誰もが競技上、表面上の強さ以外の何かを、ゲームに取り組んでいく中で得たからこそ、宮崎のファイナルズは大舞台として機能したのだ。
もう一人ではないからこそ、SEASON2はさらに先に進める。

 

 

もはや、無力ではなかった。

 

 

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大会の試合内容は、アーカイブを見ればよいだろう。

僕から語るようなことは何もない。見れば伝わる。そういう戦いができた自負が、選手達にもあると思う。

 

 

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書かねば伝わらないこと。それは、あの会場にいた人間は、皆白熱し、熱狂し、最高の舞台を心ゆくまで堪能したという多幸感。
でも実際は、書いてもほとんど伝わりはしないのだ。こればっかりは行かなければ、体験しなければ、わからない。
だから是非、来シーズンは行って体感してほしい。eスポーツという使い回された言葉が、そら寒く感じるくらいには、熱くなれる旅程だった。

 

 

 

「いや~温泉も入ったし終始エモいし最高やな~!あ、金魚!金魚見てエモバーで一杯飲みましょうよ!」


福岡からMGRを拾い、車を飛ばしてきたscibeanは朗らかに笑う。
かつて、僕が裏のコミュニティリーダーと銘打った男だ。こいつには一向に敵わないな、と思わざるを得ない。
彼は、特に不真面目というわけでもないのに、何故か空気を和ませることができる。
旅行のお供に一台欲しい存在だ。

 

彼は、ファイナルズという大会の中身が一向に見えてこないなかでも、迷わず行くことを選択した。
何かをやると決める決断力も、自分がイベントを楽しむ能力も、周囲を楽しませる能力も、彼は異常に高いのだ。
その思い切りの良さこそが、彼自身も最高の体験をすることに繋がったし、彼がいるおかげで我々も何倍も楽しく過ごすことができた。
陰の立役者というのは、まさしくこういう人物のことを指すのだろう。

 

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そうやって、宮崎の夜は更けていった。

 

 

僕自身の感情は、どうだったのか?

 

悔しかった。
心臓が締め付けられるくらい、笑顔を作れないくらいには、負けという結果が重くのしかかった。
その痛みこそが、自分はまだ選手でいてもいいんだと再確認させた。

 

嬉しかった。
たった8人の最終戦は、全てがライバルであり、仲間であった。
あの日成し得ることのなかった夢となるべき大舞台は、ここに確かに、ひとつ完成したのだ。

 

楽しかった。
競技を突き詰めてきた選手たちと、同じ特別な空間を共有することはこんなにも楽しかったのか。
なんだか、様々なことを考えていたのが馬鹿らしくなるくらいに。

 

 

いつの間にか僕は、また義務感で動いていたのかもしれない。
界隈のためだとか、恩返しだとか、そんなものは全部自分を騙すための詭弁だ。

 

結局僕は、自分が楽しいと思うため、幸福になってほしいと願う者のために動いているんだ。
自分が楽しいと思える場所を守るため、作るため、広げるために動いているんだ。
自分が楽しく感じたことを、人にも同じく感じてほしいから動いているんだ。

 

 

『自分が納得するために闘ってきた』
まさに、それだったのだ…

 

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まだまだ、ファイナルズはささやかな舞台に過ぎない。
けれどもきっともう、無力ではない。
僕は更なる針路を示すため、舞台を広げていくために、先へと進もう。

 

 

 

私は、選手が、選手として、生業を成すストーリーが見たい。

最強格のプレイヤーが、deltaやマッキーが、もっと称賛を浴びるヒーローになる世の中が見たい。

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こう掲げた、自らの目標を達するために。

僕らの夢は止まらない。

次はきっと、5/18に何かが起こる。

 

 

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